ヒバクシャ:’15秋/6止 諦めない、まなざしに力 医師・肥田舜太郎さん via 毎日新聞

◇肥田舜太郎さん(98)

「どこか悪いわけじゃないのですが、こうしている方が楽なので」。妻と一緒に入所している埼玉県内の介護施設で肥田舜太郎さん(98)=さいたま市=は、ベッドに横になって笑った。「何しろあと数カ月で、99歳になりますから」

戦後70年の今年8月6日、広島原爆の日の朝。戦時中に勤務していた広島市の旧陸軍病院の慰霊祭に参加した。続いて市内で開かれた集会で、久しぶりに被爆体験を語った。「しばらく休むと言っていたのですが、どうしてもって頼まれたのでね」

体力が続く限り、話を聞きたいという人がいる限り、被爆の実相を語り続けたい。そう繰り返してきたが、最近は活動から少し遠ざかっている。年齢が一番の理由だが、複雑な思いもあるようだ。

2011年3月11日に起きた東京電力福島第1原発事故の直後から講演や取材依頼が相次いだ。被爆した医師として半世紀以上、被爆者を診てきた臨床経験から、放射性物質による内部被ばく問題の第一人者であったからだ。各地での講演は約400回に及んだ。

「講演会に集まった人たちはみな熱心でした。とりわけ小さな子どもを持つお母さんたちの不安を抱えたまなざしは印象的でした」

広島・長崎を襲った放射線による人体への影響が福島でも懸念されると訴える老医師の警鐘だった。しかし、「言い過ぎではないか」「必要以上に不安をあおっているのでは」という声が届くようになる。次第に講演依頼も減った。

「放射線被害という意味で広島と福島は変わらない。それが私の考えです。だけど、農作物などの風評被害もあるし、福島は危ない、といつまでも話してほしくない。そう考える人には私の話は邪魔だったのでしょう」

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