原発は「公」なのか 経済界の理屈、人権と折り合いは via 朝日新聞

経済同友会の「憲法問題調査会」が03年に出した意見書がある。

「『自由』『権利』の名の下に、『公』の概念を否定的にとらえる風潮への懸念がある」。人権を制限できる条件として現行憲法が掲げる「公共の福祉」の概念を明確にするため、「どのような条件で権利が制限されうるのか明記する」と提案している。

自民党憲法改正草案も「公共の福祉」は意味が曖昧(あいまい)だとして、「公益及び公の秩序」に置き換えている。

経済界にとって、人権と折り合いをつける「公」とは何だったのだろう。

(略)

「なぜ一地裁の裁判官によって、国のエネルギー政策に支障をきたすことが起こるのか」。関西経済連合会の角和夫副会長(阪急電鉄会長)は今年3月の会見で、「憤りを超えて怒りを覚えます」と語った。

この直前、大津地裁関西電力高浜原発3、4号機の運転差し止めを命じた。「三権分立」を忘れたかのような発言の真意をたずねるため、角氏に取材を申し込むと、文書で回答があった。「発言は三権分立に言及したものではないが、司法判断が分かれることによる社会への影響は大きい」

再稼働による電気料金の値下げで、阪急電鉄だけで年間5億円の鉄道事業のコスト減を見込んでいた。関西にはパナソニックシャープ、中小企業の集積地がある。「関西全体ではかなり大きな影響になる」

2年前、関電大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じた福井地裁の判決には、こうある。「多数の人の生存に関する権利と、電気代の高い低いの問題などを並べて論じること自体、法的には許されないことである」

公共の福祉には、国民の幸福や健康といった概念も含まれ、「社会全体の利益」と言い換えられることもある。守るべきは「公」だけではない。経済が優先されるあまり、憲法が保障する国民の権利は忘れ去られてはいないだろうか。

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