バブル企業弁護士から脱原発の闘士へ-「原自連」で電事連に対抗 via Bloomberg

「エネルギー革命は必ず起きる。その時まで再び原子力発電所事故を起こさないことが肝心だ」。20年近く原子力発電所の停止や撤廃を求める脱原発裁判を手掛けてきた河合弘之弁護士(73)は、原発から自然エネルギーへとシフトする世界各地の実態を伝えるドキュメンタリー映画「日本と再生」(2月公開)の監督も務めた。

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今年2月、これまで個別に活動してきた脱原発団体と自然エネルギー団体が一致団結するため原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟(原自連)を立ち上げた。電力会社が設立し原発を推進する電気事業連合会(電事連)に対抗し、略称の語呂も合わせた。原発事故直後に創設し、河合氏が共同代表を務めている脱原発弁護団全国連絡会と共に脱原発に向けた活動を後押ししている。同志の弁護士を自宅の地下室に集め、情報を共有し裁判の戦略を練っているという。

河合氏の取り組みが経済に大きく影響を及ぼしたのが2016年3月の大津地裁による関西電力高浜原発3、4号機に運転停止を命じた仮処分決定だ。河合氏は運転停止を求めた周辺住民の弁護団の1人として活躍した。当時運転中だった同3号機は決定翌日に運転を停止。稼働中の原発が運転差し止めを命じられるという初の事例に関西電の株価は急落し、同年5月に予定していた電気料金の値下げも見送った。これを契機に原発事業者の司法リスクがより認識されるようになった。

正義感

河合氏が戦う相手は「原子力村」と呼ばれる、原発推進を掲げる政府や電力会社、原子炉メーカーなどの原発産業だ。原発周辺住民や被災者などの弁護を手弁当で引き受けるが、「推進派の敵意に囲まれる戦いなので精神的にも非常に厳しい」と吐露する。それでも続けるのは「重大事故は日本を滅ぼす恐れがある」という危機感と日本を守りたいという正義感からだ。

脱原発に傾倒した背景には、1980年代のバブル時代の経験がある。バブル景気で潤った経営者らの弁護を手掛けた同氏は「勝ちまくって得意の絶頂だったが、一生こんなことをやっていて良いのかという思いもあった」と振り返る。経済的欲求は満たされたものの、良心にかなっていないことに気が付いたからだ。人類にとってより普遍的で根本的な問題は何かと考えたどり着いたのが、環境問題であり脱原発だった。

企業弁護士として辣腕(らつわん)を振るった河合氏が参加した後も安全神話が浸透していたころの脱原発訴訟は20連敗。諦めかけた11年に東日本大震災と福島第一原発事故が発生。「神様が、僕の襟首をつかんで『逃げるな』と言っている」と感じたという。当時67歳だった河合氏は残りの人生を脱原発に懸けることを決意した。

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東京電力ホールディングスの旧経営陣に対し、原発事故の処理費用と同額の22兆円の損害賠償を求める株主代表訴訟の弁護団長も務めている。被告の1人の勝俣恒久元会長は、同じ東京大学卓球部の先輩に当たる。「到底個人で支払える金額ではない。それは僕らにとって問題ではない」。原発事故による損害の大きさを社会に示すことが目的で、事故につながる判断ミスを犯した経営者がきちんと責任を取る事例を示し、後に続く経営者にとって「責任感の覚醒につながれば」と期待する。

河合氏は全国で行われている脱原発訴訟と仮処分申請38件のうち24件を直接手掛けると同時に、企業弁護を通じて得た資金を元手に全国の脱原発弁護士も支援している。裁判を通じて国民の知識を深め、感情をかき混ぜて世論を喚起する。そうすることで「いずれ原発をやめるという政治決定がされてくる」と考えている。

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