Daily Archives: 2019/02/18

Grand Canyon tourists exposed for years to radiation in museum building, safety manager says via USA Today

Dennis Wagner, Arizona Republic For nearly two decades at the Grand Canyon in Arizona, tourists, employees, and children on tours passed by three paint buckets stored in the national park’s museum collection building, unaware that they were being exposed to radiation. Although … Continue reading

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nternational Campaign “Tokyo 2020 – The Radioactive Olympics” by Nuclear Free Olympic Games 2020

There is an international campaign against having part of the Olympic games only 50 km from the Fukushima nuclear plants and opposing all nuclear plants in Japan and throughout the world. In 2020, Japan is inviting athletes from around the … Continue reading

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Tokyo governor won’t speculate on Olympic bribery scandal via The Tribune

TOKYO — The head of Tokyo’s city government has declined to weigh in on the future of Japanese Olympic Committee President Tsunekazu Takeda, who is being investigated for his part in an alleged bribery scandal. Asked Monday if Takeda should … Continue reading

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Where to Find Fukushima Radiation Health Survey via Fukushima Voice Version 2E

Information: Fukushima Medical University’s Radiation Medical Science Center Website  Fukushima Medical University’s Radiation Medical Science Center opened a new website on January 10, 2019. The original English website, “Office of International Cooperation,” is still active, although it seems to be updated at a … Continue reading

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孫も隣人も戻らない 原発事故から8年、飯舘村はいま via 朝日新聞

 東京電力福島第一原発事故から間もなく8年。福島県飯舘(いいたて)村は避難指示区域が解除されて約2年が経つが、戻った村民は1割余り。主が帰らぬ空き家は次々と解体され、空き地には背丈を超えるカヤが生い茂る。故郷へ向かうはずの村人の足取りはなぜ重いのか。村南部の小宮地区を7年前から定期的に見回りをする元区長の庄司武実さん(65)の車に同乗して「村のいま」を見た。 […]   もっと読む。

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津波予見義務が最大の争点 原発避難者訴訟、あす地裁判決 via Yahoo! News

 東京電力福島第1原発事故の影響で福島県から神奈川県へ避難した住民らが、国と東電に総額約53億9千万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が20日、横浜地裁(中平健裁判長)で言い渡される。津波の襲来を予見し、適切な対策を講じておく義務が国と東電にあったのかが最大の争点。[…] 原告側は、政府の地震調査研究推進本部が2002年にまとめた長期評価に基づき、東電は原発の敷地の高さを越える津波の到来を予見し、速やかに必要な対策を講じるべきだったと主張。国の責任についても、「規制権限を有していながら、東電に具体的な対策工事を何一つ行わせることができなかった」として追及している。 また国が示した基準に基づき東電がこれまで支払ってきた賠償は不十分とも指摘。低線量被ばくの危険性にさらされるなど避難生活を余儀なくされている原告らに適切な賠償を行うことを求めている。 東電側は「事故原因になった津波と同程度の津波を予測する知見は当時存在せず、予見は不可能だった」と反論。賠償についてもすでに十分な額を支払っているとした。国は東電に対する規制権限を有していなかったとして事故責任を否定し、津波の予見もできなかったと主張している。 […] 全文

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「自分はビキニで被ばくしたのか」海の男だった82歳が執念の調査 国がやらないなら自分で via Yahoo!ニュース

自分は被ばくしたのか。被ばくしたとしたら、それはどの程度で、健康にどう影響するのか。それになにより、ほかでもない自分に関する事実がなぜ分からないのか――。60年余り前、マグロ漁船「ひめ丸」に乗っていた高知市の元船員はいま、そんな思いの中にいる。かつて米国は太平洋で核実験を繰り返し、周辺で操業中だった「ひめ丸」など1000隻近い日本漁船に影響を与えた。その事実は近年少しずつ明らかになり、国を被告とした裁判でも被ばくが認定された。それでも物事は一直線に進まない。厚生労働省が実施した被ばく線量調査では、研究代表者が自ら「2〜3倍の誤差」があると認め、元船員からは「線量が過小評価されていたのでは」と疑う声も出た。いったい、事実はどこにあるのか。82歳になった元船員、増本和馬さんは執念の調査を続けている。(文・写真:笹島康仁/Yahoo!ニュース 特集編集部) 「食べるため」の仕事で被ばく この1月22日、増本さんは高松高裁にいた。自らも原告の裁判の控訴審。その初回の口頭弁論があったからだ。一審の高知地裁よりも建物には貫禄があり、法廷も少しだけ大きい。多くの取材陣が詰め掛け、傍聴席も支援者で埋まった。「気持ちがね、ちょっと引き締まった」と振り返る。 2016年に一審が始まった時、増本さんは「まさか自分が法廷に立つとは」と話していた。解明すべきは、62年前の核実験と自身の被ばく。しかも、訴訟相手は「国」。核実験の実行者は米国だ。 増本さんは日本統治下の朝鮮半島で生まれ、敗戦で高知県の漁師町に引き揚げた。家計を助けるために17歳でマグロ漁船に乗り、その最初が「ひめ丸」だった。 (略) 増本さんがマグロ漁船に乗っていたころ、米国は太平洋で核実験を繰り返していた。そのうちの一つ、1954年3月1日にビキニ環礁で実施された水爆実験では、静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」が被ばくする。 このときの水爆の威力は、広島型原爆の約1000倍。粉塵は160キロ東で操業していた福竜丸にも降り注いで船員を被ばくさせ、無線長の久保山愛吉さんは半年後に死亡した。一連の実験により、54年末までに延べ992隻が汚染された魚を日本で水揚げし、「放射能マグロ」の言葉とともに日本中に衝撃を与えた。 ところが、日本政府は55年1月、「完全解決」の合意文書を米国政府と交わす。米国側は「見舞金」200万ドルを支払い、日本側は賠償請求の権利を放棄する、という内容だ。米国はその後も核実験を続けたが、漁港での検査は行われなくなった。 2014年3月、記憶を呼び起こされる 増本さんが再び「ビキニ」に引き戻されたのは5年前、2014年3月だった。当時の核実験に関する新聞記事が地元紙に掲載されたことがきっかけだった。 「せっかく取ったマグロを検査され、海に捨てた」「(太平洋で操業中)夜なのに突然、昼間のような明るさになった」「灰のようなものが降ってきた」……。元漁船員らのそんな証言も多数載っている。 (略) あのころ、漁を終えて東京・築地に入ると、ガイガーカウンターを持った係官が魚を調べていた。多くの病気を経験し、今から20年ほど前には「白血球が異常に多い」と診断されていた。医師の見解は「原因不明」。前立腺がんも患った。若くして死んだ仲間も少なくない。 元船員や遺族らは2016年、国を相手取り、「第五福竜丸以外の漁船に関して日本政府は必要な健康調査や情報公開を怠ってきた」ことを問う国家賠償請求訴訟を起こした。その提訴の前、増本さんは「ひめ丸の調査を手伝ってほしい」と弁護士に頼まれ、それをきっかけに自ら調査に関わっていく。 (略) 同じ「ひめ丸」に乗っていた仲間の調査も続けた。それぞれの経歴や病歴を調べ、遺族らから当時の様子などを聞き取っていく。「(核実験の)光を見た」と言う船長に会うこともできた。町内には別の漁船に乗り、20代で死んだ船員がいたことも分かった。その兄は「最期は全身の穴から血が出ていた」と語ったという。それらは妻の美保さん(78)が丁寧に整理し、ファイルは少しずつ厚みを増している。 高知地裁は昨年7月の一審判決で、元船員らに関する被ばくの事実を認定した。賠償請求は認めず、原告敗訴となったものの、被ばく直後の健康調査が不十分だったこと、病気と被ばくの因果関係を立証するのは難しいことなどに言及。そして、元漁船員らの救済については「改めて検討されるべき」とした。 厚労省研究班の「調査」とは ビキニの問題が再燃していた2015年、当時の漁船員らの被ばくの程度を調査するとして、厚労省は研究班を立ち上げた。研究代表者は「放射線医学総合研究所」の明石真言理事。この「放医研」は16年4月に改組して、国立研究開発法人「量子科学技術研究開発機構 放射線医学総合研究所」となり、明石氏は現在、同機構執行役だ。放射線被ばくの専門家で、東京電力福島第一原発の事故に伴う福島県の「県民健康調査」でも委員を務めている。 この研究班ができた時、元船員らは「ようやく国が自分たちの声に直接耳を傾けてくれる」と期待したという。ところが、2016年5月に「報告書」をまとめるまで研究班は、被ばくの健康被害を訴えて原告となった元船員を一人も訪ねていない。 この研究班は何をやっていたのだろうか。その一端を知ろうと、同研究所に情報公開請求をしたところ、2016年4月までの1年2カ月に及ぶ領収書が開示された。 その間に支出された経費は約500万円で、人件費に約190万円。さらに書籍(約10万円)、研究班メンバーが千葉市の同機構に集まるための交通費(約33万円)。外部委託費として約180万円が使われていた。研究班とは別の「ビキニ環礁水爆実験による元被害者の被ばく線量に係る研究」の経費では、ノートパソコン2台(42万円と25万円)、PDFや文書のソフト(20万円)、トナー(6万円)、シュレッダー(8万円)などが購入されている。 (略) 研究班は、1954年3〜5月に実施された一部の実験を対象に、米軍が設置したモニタリングポストの数値や、近くで操業していた10隻の航路などから外部被ばく線量を推計した。同年7〜8月に操業した「ひめ丸」は含まれていない。 結論は「漁船員の被ばく線量は最大でも1.12ミリシーベルト相当であり、健康に影響を及ぼすほどの被ばく線量があったと明確に示すことはできなかった」という趣旨である。 ところが、研究代表者の明石氏は16年、筆者の取材に「最大1.12ミリシーベルト」とした結果には「実際と2〜3倍の誤差がある」と明言し、「健康への影響はないということは変わらない」としつつも、報告書の結論は実態よりも過小評価になる可能性を認めた。 明石氏によれば、同じ方法で第五福竜丸を計算した場合、船員の被ばく線量は約1300ミリシーベルト。これに対し、実際に計測された船員の被ばく量は「最大約7000、平均約3000ミリシーベルト」だったという。実測値のほうがかなり高い。「(福竜丸の)数値は検討の余地がある」として報告書には記さなかったという。 当時の漁船員たちは汚染の強いマグロの内臓を食べたり、海水を日常的に使ったりしていた。「それに伴う内部被ばく、漁の実態が十分に考慮されていない」といった疑問も残っている。 (略) この1年間に、極めて重要な二つの診断書も手に入った。一つは、同じ「ひめ丸」に乗っていた男性の死亡診断書だ。この男性は1994年、66歳のときに白血病で亡くなっている。 増本さんは遺族の協力を得て、「急性単球性白血病」と記された死亡診断書を入手した。「死亡診断書」を第三者が入手することは難しい。社会保険事務所の窓口では、遺族の委任状に加えて「銀行の口座番号」も必要だとされた。何度も遺族の元を訪れ、承諾を得ることができたという。 放射線被ばくと病気の因果関係は証明が難しいが、この男性もかかった「白血病」は、労災認定において被ばくとの因果関係が比較的認められている病気だ。国が定めた放射線業務従事者の労災認定では、白血病の場合、年5ミリシーベルト以上の被ばくが基準の一つであり、原発労働者らが認定を受けている。 もう一つの診断書は、増本さん自身の病気についてのものだ。第五福竜丸の労災認定に関わっていた医師から「いくつかの病気について、被ばくとの因果関係が認められる」とする当時の診断書を得ることができた。これには、看護師だった妻・美保さんの協力が大きかったという。 (略) 外務省の開示文書からは、ひめ丸が実験場の周辺海域で操業していたことが分かった。米国の公文書は同船の操業海域にも放射性物質の降下があったことを示している。そして、増本さんが捨てずにいた船員手帳も、裏付けの一つとなった。 全文は「自分はビキニで被ばくしたのか」海の男だった82歳が執念の調査 国がやらないなら自分で 

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官邸に「疫学調査不要」 福島原発事故で放医研理事 via 東京新聞

東京電力福島第一原発事故後の二〇一一年四月、国の研究機関・放射線医学総合研究所(放医研)の明石真言(まこと)理事が福山哲郎官房副長官(当時)に、住民の疫学調査は不要と進言していたことが分かった。原発事故の疫学調査では一般的に、多発が心配される甲状腺がんの患者数や分布を調べ、放射線の影響を分析する。しかし、国は本格的な調査に乗り出さず、福島県が「県民健康調査」を始めた。 (榊原崇仁)  甲状腺がんの原因となる甲状腺内部被ばくの測定も、国は千八十人で終えていた。明石氏はこの測定を問題視しなかった上、甲状腺がんの状況も調べなくてよいと提案したことになる。  本紙は、同年四月二十六日に明石氏らが福山氏と首相官邸で面会し、住民の被ばくについて説明した会合の議事概要を情報開示請求で得た。文部科学省が作成し、放医研が保有していた。  それによると、経済産業省の幹部が「論点として疫学調査の必要性の有無があろうが…」と切り出し、明石氏が「住民の被ばく線量は最も高くても一〇〇ミリシーベルトに至らず」「(疫学調査は)科学的には必要性が薄い」と述べていた。  明石氏は現在、量子科学技術研究開発機構執行役。取材に応じ、「健康影響が確認できる基準は一〇〇ミリシーベルトと理解していたが、外部被ばくは原発の正門付近の空間線量からそこまでにならないと判断した。甲状腺の内部被ばくは国の測定で線量が高い人でも五〇ミリシーベルト、一〇〇ミリシーベルトにならなかったはず」と説明。「必要性が薄い」と判断した理由に、平常時との差が確認できるほど病気が増えると考えにくかったことを挙げた。 (略) 緊急被ばく医療体制の中心的機関として位置付けられ、福島の事故では官邸や各省庁の助言役として活動。国が疫学調査をする場合は、実施主体になる可能性があった。国がこの調査をしなかったのは、放医研が否定的だったことが影響したとみられる。 全文は官邸に「疫学調査不要」 福島原発事故で放医研理事

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孫も隣人も戻らない 原発事故から8年、飯舘村はいま via 朝日新聞

菅沼栄一郎 東京電力福島第一原発事故から間もなく8年。福島県飯舘(いいたて)村は避難指示区域が解除されて約2年が経つが、戻った村民は1割余り。主が帰らぬ空き家は次々と解体され、空き地には背丈を超えるカヤが生い茂る。故郷へ向かうはずの村人の足取りはなぜ重いのか。村南部の小宮地区を7年前から定期的に見回りをする元区長の庄司武実さん(65)の車に同乗して「村のいま」を見た。 (略) 一帯の山辺沢集落には20戸余り住んでいたが「戻ったのは4世帯だね」。震災前の小宮地区には136世帯あったとされる。帰って来たのは「せいぜい15軒くらいかなあ」。 庄司さん自身、避難先の福島市内に新築した家から妻の栄子さん(65)と一緒に飯舘村に戻るのは、週にいっぺんくらい。「4人の孫を市内の学校に送り迎えするのはジイバアの役目。朝晩たいへんなんだ」 お孫さんといっしょに村に戻ればいいのに? 「孫の友達も村にはいないんだ。放射能の影響がどう出るかわからんし、無理に帰ろうとも言えんだろ」 (略) 一帯の山辺沢集落には20戸余り住んでいたが「戻ったのは4世帯だね」。震災前の小宮地区には136世帯あったとされる。帰って来たのは「せいぜい15軒くらいかなあ」。 庄司さん自身、避難先の福島市内に新築した家から妻の栄子さん(65)と一緒に飯舘村に戻るのは、週にいっぺんくらい。「4人の孫を市内の学校に送り迎えするのはジイバアの役目。朝晩たいへんなんだ」 お孫さんといっしょに村に戻ればいいのに? 「孫の友達も村にはいないんだ。放射能の影響がどう出るかわからんし、無理に帰ろうとも言えんだろ」 (略) 同村の「避難情報」(2月1日現在)によると、村全体の「帰還者」は878人。震災前の約6500人の約13%だ。しかも、村で顔を合わせるのは「自分より年上」がほとんど。「この村はおれたちの代で終わりだよなあ」。見回りの約3時間、庄司さんは何度もため息をついた。 お年寄りが目立つ村のなかで、30代が働く光景を目にした。佐藤豊洋(とよひろ)さん(37)の牧場だ。ちょうど、パイプのすき間から顔を出してエサを待っている牛たちに牧草をやっていた。 父親(70)は震災後、600頭余りの牛を全部売り払った。が、飯舘で牧場を続けるという豊洋さんの意思を聞いて、もう一度やりなおした。牧場にはいま、約130頭の牛がいる。これから増やしていく考えだ。 豊洋さんは、4人の子どもたちと一緒に隣の川俣町に住んでいる。「子どもには自由に将来を選んで欲しいと思う」。子どもたちが大きくなった時、この村はどうなっているだろうか。 全文は孫も隣人も戻らない 原発事故から8年、飯舘村はいま

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Tour brings foreigners to areas devastated by nuclear accident via Japan Today

TOKYO There is growing interest among foreign tourists for a tour in English to former evacuation zones in the northeastern Japan prefecture of Fukushima where a devastating earthquake and tsunami in March 2011 triggered a nuclear disaster. “More people are … Continue reading

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