Daily Archives: 2019/02/14

福島原発刑事訴訟支援団ニュース第6号 青空 via 福島原発訴訟支援団

目次 3被告人に禁錮5年の求刑! 3月最終弁論、厳正判決を求め署名を広げよう! 2008年2月に津波対策をとることは決まっていた 東電旧経営陣3被告人には、間違いなく非があったことを広めたい! 入会された方々から支援団へのメッセージ 「厳正な判決を求める署名」にご協力ください! 海渡雄一著 支援団・告訴団監修の新刊が出ました! 厳正判決を求める全国集会 3月の公判予定(13日で結審です!) 事務局からのお知らせとお願い 佐藤 和良(福島原発刑事訴訟支援団団長) 福島原発刑事訴訟支援団のみなさま 昨年は、たくさんの励ましとお力添えを頂き、誠にありがとうございました。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。 2018年12月26日、とうとう、東電福島原発事故で強制起訴された勝俣恒久元会長・武藤栄元副社長・武黒一郎元副社長ら旧経営陣3被告人に対し、業務上過失致死傷罪の法定刑として最大の禁錮5年が求刑されました。 2011年3月11日の事故以来8年、福島県民そして全国から1万4千余の人々が告訴して、検察庁の2度の不起訴、市民による検察審査会の強制起訴と、粘り強く、あきらめず事故の真相と責任を追及してきた結果です。 論告求刑の冒頭、指定弁護士は、被告人質問での3被告人の謝罪について「とても虚しい気持ちで眺めていたのは、我々だけではないと思います」「自らの事故の責任を否定し、他者にその責任を転嫁しようとする供述ばかりで」「原子力発電所の運転・安全保全業務をその重要な責務とする原子力事業者の最高経営層に属するものの態度としては、到底考えられないもの」と強く批判しました。 そして、原子力発電所は、「極めて重大な潜在的危険性を内包し、一度事故が起きれば取り返しのつかない結果を引き起こし、永遠に故郷を奪い、多くの人々を生命の危険に曝し、おびただしい損害を与える」「万が一にも、このような重大事故を引き起こすことがあってはならない」とし、「被告人らに『できないことをやるべきだった』と言っているのではなく『できることがあったのに、それをしなかった』」「被告人らには、当然でき、なすべきことであったのに、何もしなかったのではないか、何もしないで、漫然と福島第一原子力発電所の運転を継続することにより、本件事故を引き起こし、多くの人々を死に至らしめ、負傷させ、そして、これに関係する人々にも塗炭の苦しみを強いることになったのではないか」と述べました。 また、検察審査会の判断は、「極めて常識的で正鵠を射たもの」とし、東京地検の「当初の不起訴の判断は全くの誤りであった」と指摘しました。 そして、「東京電力から押収された多くの資料、会議録、メールなどを時系列的におっていくと、被告人らが、巨大津波の襲来を予見できる様々な機会を持ちながら、これをないがしろにし、もっともらしい理由をつけて、防護措置をとることを引き伸ばし、怠っていたことが、浮かび上がってきました」として、被告人らの過失責任を問う「情報収集義務」について「一定の重要かつ具体的な情報に接し、あるいは接する機会があったことを契機として、東京電力の最高経営層に課せられる具体的義務があり、これを怠った」と、刑事責任の存在を指摘しました。 その「具体的情報の典型が、『O.P.+15.707m』という情報であり、『中越沖地震対応打ち合わせ』つまり『御前会議』の席上に提供された様々な客観的情報」で、「これらの情報を契機として、被告人らが他者に物事を委ねることなく、自らその権限と責任において、積極的に情報を取得し、これらの情報に基づいて的確かつ具体的な対策を提起し、これを実行に移してさえいれば、本件のような世界に例をみない悲惨な重大事故を防ぐことができた」と結論づけました。 被告人らの犯情は、結果の大きさ、被告人の地位・立場・権限の大きさ、注意義務懈怠の大きさの3つの要素がいずれも極めて大きく、業務上過失致死傷罪の中でも、極めて重い、としました。 その上で、45名死亡22名負傷の川治プリンスホテル事件が禁錮2年6月の実刑、32名死亡24名負傷のホテル・ニュージャパン事件が禁錮3年の実刑だったことを挙げ、被告人らは「なんらの反省の態度も示していません」「被告人らに有利に斟酌する事情は何ひとつないのです」と、業務上過失致死傷罪の禁固刑としては法定刑の上限の5年の実刑を求めました。 いよいよ、最終局面です。これまで36回の公判で、争点の地震津波の予見可能性と結果回避可能性を巡り、証人尋問、被告人質問、被害者遺族の意見陳述、論告求刑、被害者参加代理人の意見陳述が行われました。3月12・13日には、被告人の弁護人による最終弁論を経て結審です。夏頃までには判決が出ると予想されます。 福島第一原発事故は取り返しのつかない放射能汚染と地域社会の分断・崩壊をもたらしました。無念の死を遂げた被害者と遺族の思いにこたえ、真の被害者救済の道を開き、二度と悲劇を繰り返さないために、各地での報告会や地域・街頭で、厳正な判決を求める署名を拡大し、東京地裁に厳正な判決を求める世論を盛り上げましょう。     全文

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TEPCO sat by idly on reports of fires, glitches at nuclear plants via The Asahi Shimbun

Tokyo Electric Power Co. ignored reports on fires and other problems from its nuclear power plants and didn’t even bother to share the information in-house or consider precautionary measures, the nuclear watchdog revealed. The Nuclear Regulation Authority decided Feb. 13 … Continue reading

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Byron nuclear plant could close in three years, two decades earlier than its planned retirement via RRStar.com

By Georgette Braun BYRON — Exelon’s Byron nuclear generating station could close as early as mid-2022 because of financial risk, some two decades earlier than its planned retirement. […] Paul Dempsey, communications specialist for the Byron station, said the Byron … Continue reading

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小泉元首相、原発めぐる討論「私も出る」 経団連へ打診 via 朝日新聞

加藤裕則、関根慎一 小泉純一郎元首相が顧問を務める民間団体「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」が14日、経団連に対し、原発問題に関する公開討論会の共催を呼びかけた。経団連の中西宏明会長が原発再稼働を進める立場から「国民的議論」の必要性を繰り返し訴えているのを受けた形だが、中西氏はこの日、静岡県御前崎市で記者団に「内容を知らないのでコメントはない」と述べるにとどめた。 国会内で会見した推進連盟の吉原毅会長(城南信用金庫顧問)によると、小泉氏は討論会について「素晴らしい。実現すれば私も出る」と前向きという。小泉氏は14日の民放番組の収録でも「(原発推進派の)主張は全部ウソだと言っているが、反論がない」と挑発した。 続きは小泉元首相、原発めぐる討論「私も出る」 経団連へ打診 関連記事: 原発再稼働、必要性提言へ=「原爆とは違う」-経団連会長 via Jiji.com

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<阿武隈川物語>(28)人権とは 福島で問う via 河北新報

◎第6部 近現代(1)自由民権運動 明治維新で日本は上からの近代化を推し進めた。個人の人権より、天皇を中心とする国家体制が優先された。富国強兵の国策は戦争につながり、悲劇を招いた。近代のひずみを最も大きく受けた東北。東京電力福島第1原発事故はその延長線上にあり象徴的だ。阿武隈川流域で、敗戦までの近現代史を考える。(角田支局・会田正宣) <重謙屋敷で演劇> 阿武隈山地の福島県石川町中心部に立派な屋敷がある。自由民権運動に熱心だった元庄屋、鈴木重謙(じゅうけん)の屋敷だ。ここで2018年11月、劇の上演があった。 須賀川市のNPO法人「はっぴーあいらんど☆ネットワーク」の演劇「天福ノ島」。民権運動に対する弾圧と、原発事故を巡る福島の苦悩を交差させ、自由や人権の意味を問い掛けた。 同町は知る人ぞ知る「民権運動発祥の地」だ。西の板垣退助と並び称された東の河野広中は、石川区長に赴任して民権運動を始めた。重謙屋敷は河野が執務した区会所で、民権運動家の立会演説会場にもなった。 <有志会議を開設> 同町の民権運動結社「石陽社」の前身である有志会議は1875年に開設された。土佐(高知県)の立志社設立の1年後で、東日本で最も早かった。 石陽社員の中心は農民や神官で、士族中心の土佐と異なる。同町の郷土史研究団体「石陽史学会」前会長の小豆畑(あずはた)毅さん(77)は「封建時代の身分制度に苦しんだ階層が民権思想を受け入れた。上からの啓蒙(けいもう)ではなかった」と説明する。 (略) 民権運動研究の第一人者である安在邦夫早大名誉教授(二本松市出身)はじめ、全国の研究者が参加する福島自由民権大学が1991年から活動する。 町在住の代表運営委員鈴木吉重さん(66)は原発事故当時、浪江高(浪江町)の校長だった。二本松、いわき両市にサテライト校を置いた同高だが、避難のため新入生は定員の半数だった。 (略) 原発事故に翻弄された一人でもある鈴木さんは強調する。「日本の歴史上、人権への目覚めに結びついたのが民権運動だ。災害を通じて人権の大切さを痛感した福島で、民権運動を再考する意義は大きい」 [自由民権運動]1874年の民選議院設立の建白書の提出を機に、国会開設や憲法制定などを求めた政治運動。各地の民権運動家らが民主的な憲法草案を作ったが、天皇を元首とする大日本帝国憲法が89年に発布された。福島県令の三島通庸は82年の福島事件で民権運動家らを弾圧した。 全文は<阿武隈川物語>(28)人権とは 福島で問う

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