2019年1月8日に早野龍五氏が、「伊達市民の外部被ばく線量についての見解」(以下「見解」)を文部科学省の記者クラブに張り出し、また自身のツイートで紹介している。
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この「見解」には福島県立医科大学の宮崎真氏と東京大学名誉教授の早野龍五氏が、英国の学術誌であり、英国放射線防護協会 (Society for Radiological Protection) の 会誌でもある「 Journal of Radiological Protection」(以下JRP誌)に発表した2つの論文(以下、早野・宮崎論文)[…] に関連して、不正および捏造の申し立てが東京大学に対して行われたことにつき、事実の経緯と、主としてデータ解析を担当した早野氏が見解を述べさせていただきますと書かれている。
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この「見解」の最初のページの第1項に書かれているS. Kurokawaとは私のことである。私が第2論文を批判するLetter to the EditorをJRP誌に投稿したことが、この問題のきっかけである。「見解」に書かれた早野氏の説明には言葉の使い方が曖昧かつ恣意的であり、またいくつもの虚偽が含まれている。私は、この「見解」を読んだ多くの人々が早野氏の言葉を信じ、誤った認識を持つことを大いに懸念している。その懸念ゆえこの批判を書くことにした。
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学術論文誌に発表されている論文の批判は、通常、Letter to the Editor という論文の形式をとる。学術論文の批判を学術論文で行うことは、科学の世界のルールであり、その批判に対して学術論文をもって応答することもルールである。
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それでは、「見解」の内容を点検してみよう。 まず第1項に、「JRP誌より、『第二論文に対し、S. Kurokawa氏より内容について学術的な問い合わせのLetterが届いたのでコメントするように』との連絡を受けました。」と書かれている。「学術的問い合わせのLetter」というところを、学術誌のルールをご存じない方が読むと、私が問い合わせの手紙をJRP誌に送ったように誤解されかねない。私は「学術的問い合わせ」など行っていないし、手紙など送っていない。私が行ったのはLetter to the Editor という形式の論文を投稿したことであり、それが11月16日に “is ready to accept” になったので、著者の応答を論文誌の編集部が求めたということである。このような単純な事実を表現するだけなのに、早野氏の書き方は言葉の使い方が正しくなく曖昧である。 次に、「私と主著者とで、私が作成した解析プログラムを見直すなどして検討したところ、70年間の累積線量計算を1/3に評価していたという重大な誤りがあることに、初めて気が付きました。」の部分について考察する。 私の論文では、第2論文の図6から計算した結果は図7のグラフが示す値になるはずなのに図7の値は半分しかないこと、また、この図6と図7の間の食い違いは、図6は正しいが、図7のグラフが半分に縮められていることに起因することを指摘している。 早野氏が見つけた誤りは私の指摘した不整合を説明するものではない。それゆえ、「その誤りに気付くきっかけとなった S.Kurokawa氏からの問い合わせにも深く感謝申し上げます」と書かれても戸惑うだけである。 次に第2項には、「この誤りについて、2018年11月28日に、JRP誌に『重大な誤りを発見したので、Letterへのコメントとともに論文の修正が必要と考える』と申し入れ、2018年12月13日に、JRP誌より『修正版を出すように』との連絡を受けました」と書かれている。この文章には二つの大きな問題がある。まず、「Letterへのコメントともに論文の修正が必要と考える」は虚偽を含んだ文章である。
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これを見ていただければcorrigendumとはどのようなことかわかると思う。この場合は、「2012」と書くところを「2011」と書いたことを訂正している。70年の累積線量計算を1/3に過小評価していたという重大な誤りは、そもそも corrigendum で訂正出来ることではない。 また、「見解」では、corrigendumに対して「正誤表」や、「訂正」ではなく「修正」という言葉を使っていることに注視してほしい。「訂正」は文章を直すことなので corrigendum に適する言葉だが、「修正」はもっと広い意味を持っている。例えば、「計画を修正する」というような場合だ。早野氏のやり方は言葉の意味の幅を恣意的に用いた印象操作だと言える。
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Corrigendum であったはずが、ここでは、いつのまにか「修正版」は伊達市からデータの再提供を受けて論文を書き直すことに変わっている。JRP誌は corrigendum を出すことしか要請をしていない。それを、論文の書き直しにすり替えるとは詐欺といわれても仕方がないであろう。
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「見解」では、データの廃棄だけを取り上げているが、実は研究も2018年10月31日に終了している。すでに終了した研究で、全データが廃棄されているのであるから、論文を書き直すことができるはずがない。たとえ伊達市が再度データを医大に提供したとしても、新しい研究として研究計画書を医大の倫理審査委員会に承認してもらわなければない。論文を書いたとしても、それは、修正版ではなく、新しい研究による別の論文である。このような事実を隠し、JRPからの corrigendum の提出要請を、論文の書き直しであるように見せかけることは、科学者が行うことでは絶対にありえない。 データ提供に同意していない伊達市民のデータを使ったことについて、第3項に書かれているように、著者が、「報道を通じて初めて知ることになった」のではないことは、『科学』2月号の論考で明らかにしている。『科学』の論考では、この倫理指針違反に加えて、さらに6つの倫理指針違反を著者が犯していることを示している。興味のある方は、『科学』の論考をお読みいただければ幸いである。
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「見解」の第1項に「なお念のため、この誤りは第二論文の累積線量の導出に限ったものであり、第一論文の結論には解析上の誤りは見出されておりません。」と書かれている。これは奇妙な文章である。 累積線量が議論されたのは第2論文においてであり、第1論文では累積線量など論じられていない。第1論文に第2論文のような解析上の誤りがないの当たり前である。 論文誌に論文を投稿する研究者は、自分の論文に誤りがないと考えるから投稿するのである。論文が発表された後は、論文の内容が正しいか正しくないかを決めるのは著者ではなく科学者のコミュニティである。このようないわずもがなの文章が含まれているのは、科学コミュニティの外に対する発信であると考えられる。 案の定、1月25日に開かれた放射線審議会で、この「見解」が読み上げられ、放射線審議会の事務局は、第1論文について「学術的な意義について全否定されるものでない」と説明している。このことについてはHBOLの牧野氏の論考を読んでほしい。 <文/黒川眞一> くろかわしんいち●高エネルギー加速器研究機構名誉教授。1945生まれ。68年東京大学物理学科卒、73年東京大学理学系研究科物理学専攻を単位取得退学。理学博士。高エネルギー物理学研究所(現・高エネルギー加速器研究機構)助手、同助教授、同教授を経て、2009年に高エネルギー加速器研究機構を定年退職。11年にヨーロッパ物理学会より Rolf Wideroe賞、2012年に中華人民共和国科学院国際科技合作奨受賞など。専門は加速器物理学
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