Daily Archives: 2018/09/19

Decision time for St. Louis’ radioactive waste via St. Louis Post-Dispatch

Kay Drey A decision is expected to be announced any day by the U.S. Environmental Protection Agency about the radioactive waste at the West Lake Landfill site in St. Louis County. West Lake is one of the last sites in … Continue reading

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「事故がなければ、患者は死なずに済んだ」刑事裁判傍聴記:第二十六回公判(添田孝史)via 福島原発刑事訴訟支援団

添田孝文 […] 地震と津波だけなら助かった 証人は、福島第一原発から4.5キロの場所にある大熊町の双葉病院で、事故当時、副看護部長を務めていた鴨川一恵さん。同病院で1988年から働いていたベテランだ。避難の途上で亡くなった患者について、検察官役の弁護士が「地震と津波だけなら助かったか」という質問に「そうですね、病院が壊れて大変な状況でも、助けられた」と述べた。 […] 継続的な点滴やたんの吸引が必要な寝たきり患者が多く、せいぜい1時間程度の移送にしか耐えられないと医師が診断していた人たちだ。本当は、救急車などで寝かせたまま運ぶことが望まれていた。 鴨川さんは、「バスの扉を開けた瞬間に異臭がして衝撃を受けた。座ったまま亡くなっている人もいた」と証言した。バスの中で3人が亡くなっていたが「今、息を引き取ったという顔ではなかった」。体育館に運ばれたあとも、11人が亡くなった。 高い線量、連絡や避難困難に 福島第一3号機が爆発した3月14日に、双葉病院で患者の搬送にあたっていた自衛官の調書も読み上げられた。「どんと突き上げる爆発、原発から白煙が上がっていた」「バスが一台も戻ってくる気配がないので、衛星電話を使わせてもらおうと、(双葉病院から約700m離れた)オフサイトセンターに向かいました。被曝するからと、オフサイトセンターに入れてもらうことが出来ませんでした」。 オフサイトセンター付近の放射線量は、高い時は1時間あたり1mSv、建物の中でも0.1mSvを超える状態で、放射性物質が建物に入るのを防ぐために、出入り口や窓がテープで目張りされていた。自衛官はオフサイトセンターに入ることが出来なかったため、持っていたノートをちぎって「患者90人、職員6人取り残されている」と書き、玄関ドアのガラスに貼り付けた。 病院からの患者の搬送作業の最中、線量計は鳴りっぱなしですぐに積算3mSvに達し、「もうだめだ、逃げろ」と自衛隊の活動が中断された様子や、県職員らが「このままでは死んじゃう」と県内の医療機関に電話をかけ続けても受け入れ先が確保できず、バスが県庁前で立ち往生した状況についても、供述が紹介された。 これまで、政府事故調の報告書などで、おおまかな事実関係は明らかにされていた。しかし、当事者たちの証言や供述で明らかになった詳細な内容は、驚きの連続だった。刑事裁判に役立つだけでなく、今後の原子力災害対応の教訓として、貴重な情報が多く含まれていたように思えた。           全文

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ビキニ問題を日本から世界へ 写真集、教材の出版目指す via 朝日新聞

森岡みづほ マーシャル諸島・ビキニ環礁などの周辺海域で米国の水爆実験に遭遇した高知県の元船員らの実情を世界に知ってもらおうと、支援者が写真集や教材の出版を予定している。いずれも英語などの外国語に翻訳する予定だ。   高知市の平和資料館「草の家」副館長の岡村啓佐さん(67)は、写真集を12月に出版する予定だ。タイトルは「NO NUKES(核はいらない)」。高知、静岡、神奈川、東京の4都県在住の元船員や遺族の自宅に足を運び、約50人の写真を撮った。 収録は約70点。しわくちゃになった元船員。元船員の遺影を持った遺族は、モノクロの写真の中でまっすぐにこちらを見つめる。写真とともに、元船員たちの体験談も載せる。 元船員が所属したマグロ漁船はビキニ環礁周辺で実験が行われた1954年当時、周辺海域を航行していたとされる。だが、国などの被災調査は同年内に打ち切られ、元船員は被曝(ひばく)の実情を知ることはできなかった。現在、「労災」にあたる船員保険の申請や、損害賠償を求めて国を訴えている。 (略) 昨年、岡村さんが編集委員長を務め、元船員たちの証言集「ビキニ核被災ノート」を出版した。だが、岡村さんは消化不良だった。ノートは日本語のみで書かれ、「実験したアメリカの国民にビキニ被曝について知ってもらいたい」と思った。証言集に収録できなかった遺族の写真を入れることも決めた。 写真集の自費出版を決め、高知大の教員や学生に協力してもらい、文書を日本語と英語で書いた。12月の出版を目指している。写真集は県内の小中学校に寄贈するという。 元船員を支援してきた太平洋核被災支援センター(宿毛市)はこれまで収集した元船員や遺族の証言をまとめたDVDと補助教材の作製に取りかかっている。センターは、国賠訴訟や船員保険の申請を支援してきた。 (略) 講演を聴いていたセンターの山下正寿事務局長は「世界の教育現場でビキニ事件について知ってもらえる教材をつくろう」と思いついた。DVDは英語、仏語、ロシア語などに翻訳する。国内の学校や図書館に配布するほか、核保有国に配布する予定だ。 ◇ 岡村さんとセンターは、朝日新聞のクラウドファンディングサイト「A―port」(https://a-port.asahi.com/)で資金を募っている。岡村さんは今月20日まで一口3千円。センターは11月30日まで一口2千円。 全文はビキニ問題を日本から世界へ 写真集、教材の出版目指す

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関電、廃炉燃料利用の許可取得 大飯原発 via 日本経済新聞

 関西電力は19日、廃炉を決めた大飯原子力発電所1、2号機(福井県おおい町)から再稼働済みの同3、4号機に再利用できる燃料を移して使用する許可を同日付で原子力規制委員会から得たと発表した。 大飯原発1~4号機の燃料は材質、寸法、燃焼度などが同じ仕様で設備の設計変更や改造工事は必要ない。 続きは関電、廃炉燃料利用の許可取得 大飯原発

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Anti-nuclear waste rally in Montpelier via WCAX3

MONTPELIER, Vt. (WCAX) An anti-nuclear waste campaign visited the capital city Tuesday night, delivering a replica radioactive waste cask. The event was organized by the “Citizens Awareness Network” as part of multi stop tour throughout New England. Activists say they … Continue reading

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Dairy farmer resumes operations 7 1/2 years after Fukushima disaster via The Mainichi

KATSURAO, Fukushima — A 42-year-old man resumed operations at his dairy farm on Sept. 13 with the arrival of eight cows at his barn, after an evacuation order for the 2011 nuclear crisis was lifted in most parts of the … Continue reading

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福島事故後44人死亡 東電元幹部ら公判 双葉病院・元看護師証言 via 東京新聞

東京電力福島第一原発事故を巡り、津波対策を怠ったとして業務上過失致死傷罪で強制起訴された東電の旧経営陣三被告の第二十六回公判が十八日、東京地裁(永渕健一裁判長)であった。双葉病院(福島県大熊町)に勤めていた元看護師の女性が証人として出廷し、「原発事故がなければ入院患者はもっと生きられた」と訴えた。 (池田悌一)  双葉病院は福島第一原発から南西に約四・五キロに位置する。二〇一一年三月十一日の原発事故時、寝たきり状態の高齢患者ら三百三十八人が入院。隣接する系列の介護老人保健施設「ドーヴィル双葉」にも入所者が九十八人いた。  起訴状によると、原発事故により双葉病院とドーヴィル双葉の患者らは長時間の搬送や避難を余儀なくされ、うち四十四人が移動中のバス車内や避難先で死亡したとされる。  証言に立った元看護師は事故時、患者らの避難に付き添った。「患者らが亡くなったのは、避難によって十分な治療が受けられなかったからだ」と証言。震災が地震や津波だけにとどまり、原発事故が起きなかったケースについて「医療を続けられていたはずだ」と指摘した。 ◆「もっと生きられたのに」  「病院に戻れれば、医療品や薬品を使えた。原発が事故を起こさなければ、もっと治療はできたと思います」。公判で証言した双葉病院の元看護師の女性は、病院から避難するバス内で患者が何人も亡くなった衝撃的な様子を語った。静かな口調に悔しさをにじませた。 (略) 亡くなった避難患者を目の当たりにしたのは、十四日夜になってから。双葉病院とドーヴィル双葉の患者らを乗せた別のバスが、近隣の高校に到着した。バスの扉を開けると、まず強烈な汚物の臭いが鼻を突いた。次に目に入ったのは、顔面が蒼白(そうはく)になった患者。一目で「もう亡くなってる」と分かった。座席の下に倒れ込み、丸まって亡くなっている人もいた。女性の担当患者も亡くなった。  高校に運び込まれた後、患者はさらに十一人亡くなった。高校には十分な医薬品はなく、遺体は体育館の隅に横たえられた。「全く何もしてもらえなかったんだな。亡くならざるを得なかったんだな」と胸が痛んだ。  「患者らはなぜ亡くなったと思うか」と指定弁護士に問われ、女性は「治療ができなかったから亡くなったんですよね」と答えた。女性の証言を、東電元会長の勝俣恒久(78)ら三被告は厳しい顔つきでメモを取りながら聞いていた。 (蜘手美鶴) 全文は福島事故後44人死亡 東電元幹部ら公判 双葉病院・元看護師証言

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