原発事故 チェルノブイリ31年、福島6年 帰れぬ街カメラで追う 「人々を分断」 中筋さん、原爆資料館で講演 /広島 via 毎日新聞

旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発事故から26日で31年。チェルノブイリと東京電力福島第1原発の事故があった福島を撮り続ける写真家、中筋純さん(50)=東京都八王子市=による講演会がこのほど、中区の原爆資料館であった。通常は立ち入り禁止のエリアで撮影した写真を紹介しながら、「福島でもチェルノブイリでも罪なき人々が分断されていくのを感じ、とても心苦しかった」と率直な言葉で語った。【竹内麻子】

 中筋さんは2007年から計6回、チェルノブイリを訪れた。原発の中で撮影した写真に写る「十字架」は、放射線量が高い場所で今も遺体を捜せない作業員のために作られたもので、毎日花が手向けられているという。廃炉の予定について担当者に尋ねると、「100年くらいかかる。(遅れたら)その後はわからない」と言われた。中筋さんは「福島は楽観的な計画を立てているが、核が破綻すると人間の手に負えないと感じた」と振り返る。

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 チェルノブイリと福島を訪れ、「普通の人々の暮らしが一瞬で消え去り自然が領域を広げる。同じような風景にたびたび出会った」。一方で、違いも感じる。チェルノブイリは町ごと移動して除染を諦めたが、福島では今も除染作業が進められ、海岸や野球場に汚染土などを詰めたフレコンバッグが並ぶ。

 3月末にも多くの地域で避難指示が解除され帰還可能となったが、「賠償を打ち切ったというだけ。それより前に解除された所も帰還は全然進んでいない」と、事故から6年がたつ福島の現状を語った。

 「原発事故の影響は見えにくい。事故後の時間を何とか写真に写し込み、記憶の風化をとどまらせたいと思った」と、写真を撮り続ける理由を語る。

 今秋まで埼玉や静岡など全国各地で、巡回写真展「流転 福島&チェルノブイリ」を開催している。

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