フクシマで考える(上) 声なき声が叫んでいるvia 東京新聞

【社説】
ふるさとに帰る人を待つように花が揺れていた。
福島第一原発事故がもたらした放射能汚染で住民の避難が続く福島県南相馬市小高区。国が今春にも避難指示を解除しようとしている。二月半ば、JR常磐線の小高駅前では工事の音が響いていた。
 住宅の解体や改修、復興公営住宅の建設、除染…。住民帰還に先立ち、理容店や食品雑貨店など数軒が営業しているが、どのぐらいの人が戻ってくるのだろう。
 市の意向調査では約千人。震災前の一割、高齢者が多い。駅前の放射線量は持参した測定器では〇・一マイクロシーベルトと東京都内に比べてやや高めにとどまるが、線量の高い周囲の山などは除染できないことを知っているからだ。
 町に戻る人は何を思っているのか。駅前で「双葉屋旅館」を再開する小林岳紀さん(67)は「若い人の働く場がない。年寄りは最後の死に場所を求めて帰ってきても、十年後は限界集落になるんだろうね」。それでも妻の友子さん(63)は町に花を植える。少しでも明るくしたい一心で。
 戻った住民が再び集まる交流の場をつくろうとしている女性は言う。「みんながほっとできる場を提供したい。ただ…若い人や子どもは心配ですよね」。一人の人間の中に引き裂かれた思いが同居する。多くは声を上げられず思いをしまい込んでいる。
東京五輪開催を目指す政府は二〇一七年三月までに、原発周辺の帰還困難区域を除く全区域を避難解除にする方針だ。だが、解除目安の被ばく線量を年間最大二〇ミリシーベルトまで緩和するなど、政策は被災者本位になっていない。
 小高駅前など県内各地のモニタリングポストが「線量が下がった」ことなどを理由に作動を止められている。「誰のための情報か。状況を正しく知りたいんだ」と小林さんは憤る。住民は目隠しされることを望んでいない。小さな声として押しつぶしてはならない。 (佐藤直子)

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