Daily Archives: 2016/03/11

[Video] Lecture by Norma Field, Living with/in Fukushima, Five Years Later: Our World

The video-recording of a lecture by Norma Field, “Living with/in Fukushima, Five Years Later: Our World” is available via Montana State University Asian Studies Facebook page.

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Five years after Fukushima meltdowns, critic sees more cover-up than cleanup via Bozeman Daily Chronicle

Five years after a massive earthquake and tsunami killed more than 15,800 people in Japan and caused the Fukushima nuclear plant meltdowns, many people would rather forget the whole disaster. Not Norma Field. A retired professor of Japanese studies at … Continue reading

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「3.11」から5年:「選別される棄民」と「女の革命」via The Huffington Post

(抜粋) この5年間、政治は無策だった。無策の犠牲を代表するのが、南相馬市に隣接する浪江町だ。 全町民が避難生活を強いられたこの町では、馬場有町長が代理人となって原発ADR(原子力損害賠償紛争解決センター)に訴えた。しかし東京電力は、この訴えを無視し続けた。その様子を筆者は当サイト(2014年9月11日「始まった『福島一揆』――東日本大震災から3年半」)に詳しく紹介したが、それからさらに、1年半の月日が流れた。申し立てに加わった町民1万5313人のうち440人がその間にこの世を去った。 ここまで来ると、東電のかたくなな姿勢の背後には、おそらくそれを指示しているであろう国の「悪意」が感じ取れる。浪江町民の全員を見殺しにしようという殺意と言っても過言ではない。 「東 北人は負け方を知っている」と、東北地方の民俗学を専門とする赤坂憲雄学習院大学教授は言う。東北の歴史は負け続ける歴史だった。だが、今、浪江町で繰り 広げられているのは、究極の敗北である。そして勝負の勝者が東電以上に国であるところに、この原発事故の歴史的意味がある。 「見せしめ」としてさらし者に 事故から1年後の2012年3月、筆者はやはり当サイトで、福島に関する国の無策を「棄民」と批判した(2012年3月11日「福島が消える――歴史に刻まれる現代の『棄民』」)。それから4年。「無策」は「悪意」に転じた。何が変わったのか。 当初の「無策」の犠牲者は福島県民全員だった。避難した住民全員の「帰還」が政策目標に掲げられたが、それはどちらかといえば具体策のない精神的な努力目標に近いものだった。 しかし、昨年から国の姿勢ははっきり変わった。とりわけ自主避難者には、期限を切って補償を限定する方針に転換したのである。帰還しなければ補償を打ち切る――対象者を絞り込んだ棄民だ。それは、換言すれば棄民の対象の「選別」である。 国の政策を受け入れなければどんな前途がまっているか。国はもはや、国民を棄てて見殺しにすることもいとわない。あからさまな脅しである。浪江の町民は今、その「見せしめ」としてさらし者になっているようにも見える。 (略) 国による選別 今年2月に公開された『大地を受け継ぐ』は一風変わったドキュメンタリー映画だ。主 人公は福島・須賀川市の農民、樽川和也さん。ドキュメンタリーといっても、ほとんどが樽川さんの独白である。この映画の鋭さは、樽川さんの言葉を通して原 発問題のタブーに触れているところだ。 放射能汚染を苦に自殺した父親の後を継いだ樽川さんは、自分の作る農作物を自分では食べられないと告 白する。もちろん出荷する産物は放射線量の基準を厳しく守っているのだが、「それでも食べる気にならない」。放射能をこわがる消費者の気持ちがよく分かる と苦しそうに話す。「これは風評問題ではなく現実なんだ」。 これまで、消費者が放射能をこわがる気持ちを率直に言えば、それは福島の農家へ の差別を助長するとして、逆に非難の的になることもあった。樽川さんの言葉は、父を失った農民だからこそ言えることだ。しかし、だからといって、その点を 曖昧にし続ければ、福島の野菜が安値でしか売れない理由はわからない。結局、曖昧になるのは東電の責任であり、政府の責任であることを映画は訴える。 問題の核心はここにある。責任が曖昧になれば、東電は救われるが、被害者は救われない。国による選別の向かう先は加害者ではなく被害者だけ。国に幻想を持ってはならないと樽川さんは言っているようだ。 (略) 4月に避難指示が解除され、旅館が営業を始めても、ちゃんとした事業だから家賃を払っても成立させる。「そこは主婦の強み。家内工業の形で人件費の安い労働力を確保するから、大丈夫」と、グループの中心となる、同旅館の若女将、小林友子さん(63)は言う。 事業を始める動機は「とにかく何かやらなきゃ」。震災と原発に襲いかかられて、周囲がみんな落ち込んでいるのに、「私たちまで落ち込んでいたら救いがない」。やれば必ずできるという「超楽観主義」だ。 国や市に期待しても何も出て来ないから自分でやる。「女はうだうだ考える前にまず動く。できることからまずやっていくのよ。失敗してももともとじゃない」 他に養蚕を手がけて絹製品を開発する計画もある。「本当の事業として完成するまでに5年か10年かかるかもしれないけど、それまでの時間を笑って過ごそうよ、ということなの」 放射能の線量管理も「自分たちの目で安全を確認する。自分の目で事業が成立することを証明する。それができずにどうするのよ」 今風に言えば、「闘う女集団」の誕生だ。しかし、それを可能にした地域社会の背景を小林さんの口から聞いたとき、筆者は心底感心した。 そ れは、一言で言えば地域社会の権力交替である。震災、原発事故が彼女たちの家庭にもたらした最大の変化は、老人たちが元気を失ったことなのだという。老人 たちはふさぎ込むことが多くなり、目に見えて気力が衰えていった。自分たちが平和に暮らしてきた世界が一変したことに強い衝撃を受けたのだ。 「それはたしかに気の毒なのだけど、私たち嫁の立場の女にとっては、暮らしの中で重しがとれたのよ。私たちは今、自由になったの」 こんなあけすけな表現自体が、彼女たちの今の自由を証明しているともいえよう。震災と原発事故が彼女たちにもたらした初めての自由。 地域共同体の崩壊の否定的な面ばかりに目を奪われてきた筆者に、それは新鮮な驚きだった。 (略) 「女の革命」の行方は…… 今、家庭や地域社会の束縛から解き放たれた彼女たちは、底抜けに明るい。明るさは力である。その力は、あるいは原町地区、南相馬市、そして日本という国を変えていくのではないかとさえ思わせる。 … Continue reading

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Fukushima food products still shunned by 15 percent of consumers: survey via The Mainichi

Over 15 percent of people still hesitate to buy food produced in Fukushima Prefecture out of concerns over radiation materials emanating from the Fukushima No. 1 Nuclear Power Plant disaster, a survey released by the Consumer Affairs Agency on March … Continue reading

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福島第一原発について、あなたが知らない6つのこと via The Huffington Post

メルトダウンから5年。廃炉作業が続けられている東京電力福島第一原子力発電所は、刻々と姿を変えている。 1. 江戸城ぐらい広い構内。放射線量が1500倍違う場所も 福島第一原発は広い。敷地面積は350万平方キロメートルと、江戸城内郭に迫る。水素爆発を起こした1号機から、構内の入帯域管理区域付近までの距離は約1キロ。大手門から半蔵門までの距離に相当する。 構内は場所によって放射線量が大きく異なる。入帯域管理区域付近では毎時0.706マイクロシーベルト(μSv)なのに対し、3号機付近の屋外では毎時1500μSv。約1500倍の差になる。(いずれも2016年2月10日午後5時) 事故直後は、敷地境界付近で毎時1015.1μSv(2011年3月12日午後3時29分)、3号機建屋付近で毎時13万μSv(2011年3月23日)だった。 (略) 5. 核燃料はないのに…4号機が解体できない理由 原子炉建屋付近では依然、防護服や全面マスクなどが必要だ。メルトダウンを起こした1〜3号機には、溶け落ちた燃料(デブリ)が現在も残っており、ロボットによる建屋内部の調査が続いている。格納容器を水で満たして上からデブリを取り出す方法などが考えられており、2018年度に方針が決まる予定だ。 一方、定期点検中で燃料が装填されていなかった4号機は、2014年12月に核燃料プールから使用済み燃料の取り出しが完了した。しかし、解体した原子炉建屋のゴミをどう処分するか決まっておらず、解体できない。 全文は福島第一原発について、あなたが知らない6つのこと

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原発事故は「運命」…元原子力安全委トップが笑顔で大放言 via 日刊ゲンダイ

震災発生時の原子力安全委員会トップが大放言だ。8日放送の「みんなのニュース」(フジテレビ系)で、班目春樹・元原子力安全委員長が原発事故を笑いながら「天罰」「運命」と表現するシーンが放送された。 班目氏が出演したのは、シリーズ特集「震災から5年 あの日から今へ」。3回目となる8日は、VTRに登場した班目氏が番組司会の伊藤利尋アナウンサー(43)に対し、福島第1原発事故の対応と問題点を振り返る内容だった。 インタビューで班目氏は、当時の菅直人首相(69)から「水素爆発はあるのか?」と尋ねられたことを明かし、格納容器の中に酸素はないため爆発はしない、と回答したと説明。しかし、その数時間後に1号機建屋で水素爆発が発生した。 (略) その後の事故対応について、「あんな人(菅首相)を総理にしたから天罰が当たったんじゃないかって、このごろ運命論を考えるようになっちゃってますよ」と 笑いながら回答。伊藤アナから「唯一の専門家として、もうちょっと(何とか)できなかったか」と尋ねられても、「あの時、(専門家は)ずっと私1人だけ だった」「原子力保安院が図面を持ってこなかった」などと、終始のらりくらりと答えていた。 全文は原発事故は「運命」…元原子力安全委トップが笑顔で大放言

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