(ナガサキノート)親友の死、放射能の不安 福島に共感 via 朝日新聞

(抜粋)

岩本さんは2004年、頼まれて同窓会誌に被爆体験を寄稿した。それまで「もっと大変な経験をした方がいる」との思いから積極的に被爆体験を語らなかったという。

同じころ、親戚の故・崎田昭夫(さきたあきお)さんの誘いで、長崎原爆資料館などのガイドをする平和案内人の研修も受けた。最初は説明文を覚えるのがやっと。講師から「被爆者の気持ちが伝わらない」と厳しい指導を受け、涙したこともあった。だが、「崎田さんが原爆症で入退院を繰り返しながら体験を語り続けた姿に背中を押された」。平和案内人を11年間続けてきた。

活動を通じて様々な出会いもあった。世界一周の途中で長崎を訪れた女性は、旅先から何枚もはがきをくれた。修学旅行生や海外からの旅行客の前でも話した。3年前からは、原爆が投下されなければ卒業するはずだった長崎市立銭座小学校で子どもたちに語る。岩本さんは「様々な出会いがあった。勇気を出して始めてよかった」と思っている。

東日本大震災後、岩本さんは長崎で開かれた福島の現状についての講演会に参加し、衝撃を受けた。がんを発症する子どもに関する報告を聞き、原発事故は人間の手に負えないと感じた。「原発の再稼働はとても恐ろしいと思った」。それ以来、福島の親子を長崎に招く活動に参加するようになった。

3年前、高校時代から親友だった女性が急性骨髄性白血病と診断された。大浦で被爆した女性は病院に行って3日後に亡くなった。岩本さんは「今頃になって原爆の影響が出たのかと、鳥肌がたった」。だから、福島の人たちの不安は痛いほどわかる。

安倍政権による原発再稼働や集団的自衛権の議論は「急ぎすぎだ」と感じる。「原発事故も戦争も、体験した人は忘れない。政治家は反対意見にもしっかり耳を傾けるべきだ」と考える。目前に迫る九州電力川内原発再稼働のニュースを聞き「平和な暮らしを守るため、反対の声をあげていく」と気持ちを新たにした。

全文は(ナガサキノート)親友の死、放射能の不安 福島に共感

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