原発事故直後、大熊町のオフサイトセンターに置かれた国の原子力災害現地対策本部には、十数人の医療班員が集まるはずだった。
しかし、実際に来たのは放射線医学総合研究所(放医研)の7人と東京電力の1人、福島県相双保健所長の笹原賢司(ささはらけんじ)(47)だけ。全員が集まっても足りないほどの事態になっているのに、人がいない。人手不足を見かね、放射線班の日本分析センター職員2人が医療班を手伝った。
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特に重要な役割を果たすはずだったのは、医療班長となる厚労省の官僚だ。ところが厚労省が医療班に加わったのは、なんと28日。
なぜそれほど遅くなったのか。
28日に福島入りし、医療班長となったのは医政局研究開発振興課長の椎葉茂樹(しいばしげき)(50)だ。手配したのは大臣官房厚生科学課長の塚原太郎(つかはらたろう)(54)。塚原は「省内の調整がうまくいかず、派遣が遅れた」と話す。
塚原の記憶では、3月14日か15日に現地対策本部から「厚労省が来ていない」と連絡があった。医療班長を務めるはずだった医政局指導課の幹部は、塚原の言葉では「計画停電の準備で忙しかった」。塚原はその人物が行けないと判断し、代わって椎葉を現地入りさせた――。
しかしそこには謎がある。椎葉は「塚原に現地入りを命じられたのは出発の前日」と話す。派遣要請がきてから10日以上もたっている。理由を問うと、塚原は「記憶がはっきりしない」と口を閉ざした。
同じく医療班員を出すはずだった文科省。省内の対策本部で医療班長を務めた伊藤宗太郎(いとうそうたろう)(56)は、オフサイトセンターへ「人を送るという意識は全然なかった」と明かす。なぜなら、「あそこは各省庁の出先機関に過ぎないですよ」。
全文は(プロメテウスの罠)医師、前線へ:6 遅れて来た官僚たち
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