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マンハッタン計画 75年後の核超大国 <2> 原爆展の行方 via 中国新聞

歴史博物館 開催を模索

 

廃絶の訴え 展示巡り火種

むき出しの岩肌が延々と続く台地を登り切ると突然、視界が開けて街並みが始まる。原爆開発の地、ニューメキシコ州ロスアラモス。その一角に立つ小さな平屋の建物は、マンハッタン計画を率いたレスリー・グローブス将軍の滞在先だったという。現在は地域の歴史博物館になっている。 

先住民の土地だった時代をはじめとする地域史を紹介する。原爆開発と被害について触れながら、「科学者は自らの仕事の利用のされ方にどんな責任を持つか」と見学者に問うコーナーもあった。「複雑な歴史を巡る多様な視点を提示する」場という。 

この博物館を巡って今年2月、被爆地にさざ波が立った。広島、長崎両市が原爆展を開く計画を進め始めたが、共催者となる博物館側から「2019年の開催はない」と連絡が届いた。 

開発の「本丸」

米国、特に原爆開発の「本丸」ゆえのハードルは低くない。ただ「中止」ではないのは確かなようだ。「数カ月以内にはニューメキシコ州での開催について何らかの発表をしたい。目標は早くて21年」とマクリナンさん。展示スペースの関係で、会場はロスアラモスの外になる可能性があると示唆する。 

その場合でも被爆地として譲れない核兵器廃絶の訴えを、どう扱うのか。マクリナンさんは「核弾頭の解体方法などの具体策も提示しなければ、『夢物語だ』として納得されない」と断言する。「ロスアラモスが被爆地の声に耳を傾けるのと同じように、被爆地もロスアラモスに歩み寄ってほしい。戦争に勝つため自分たちなりの役割を担ったと考えている人たちであり、モンスターではない」 

原爆資料館は、どの国であっても開催で合意すれば連携できるとの姿勢だが、原爆展と並行した別の展示が米側によって準備される可能性すらある。 

前博物館長は中国新聞の取材依頼に「既に語る立場にはない」と返答した。ただ最近、被爆2世を含めた日米の有志に呼び掛けて市民団体を発足させた。草の根の歴史対話を続けるという。団体のホームページには原爆投下時の米大統領の孫で、被爆者との交流を続けるクリフトン・トルーマン・ダニエルさんの言葉を引用していた。 

「広島と長崎の人々の苦しみと、第2次世界大戦の中で救われた命」。どう読み取ればいいのか。原爆観の溝を埋めるのは、時間のかかる作業である。(金崎由美) 

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