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■なぜアメリカは核廃絶に向かわないのか
なぜアメリカの核廃絶は一向に進まないのか? ひとつの答えは、アメリカの人々が原爆をどう理解しているかに見出すことができます。
「善きもの」――多くのアメリカ人にとっての原爆は、軍事基地を破壊し日本を直ちに降伏させ、その結果、戦争の長期化を防いで50万~100万人のアメリカ人の命を救った救世主なのです。善きものをどうして捨て去ることができるのでしょう。また、神がアメリカの原爆開発を成功に導き、さらにアメリカは神の付託を受けて実戦で使ったと信じている人も少なからずいます。こうした理解を「原爆神話」といいます。
アメリカが核廃絶へと向かわない理由は、原爆神話を信じていること、つまり、日本人のように原爆核兵器を理解していないことが理由のひとつです。原爆は広島と長崎の人々を無差別に大量虐殺した究極の大量破壊兵器であること、また、放射能の深刻な影響は長く残りいまだに苦しまれている被爆者がいることを知っているアメリカ人は意外と少ないのです。
もちろん、安全保障戦略を練り上げる政府・軍では、アメリカの国防と世界覇権の維持の視点から核兵器戦略が考えられています。また、アメリカが他国を圧倒する数と高性能の核兵器を保有することによる核の抑止力で全面戦争を防いでいると、リアリズム(パワー、軍事力を中心にすえる理論)の政策決定者や学者は正当化しています。
ただ、一般の人々が核兵器を持ち続けなければと考える理由は、心情的なものです。神話は信仰のように根強いもので、人々の思考を導き、価値判断の基準にもなります。■NYタイムズ記者とハーヴァード大学長によるフェイクニュース拡散
アメリカ人の原爆理解を操作し神話を確立させた首謀者は、政府役人や軍人ではありません。ニューヨークタイムズの記者(ウィリアム・L・ローレンス)、そして、ハーバード大学の学長(ジェイムス・B・コナント)の二人です。
拙書『アメリカの原爆神話と情報操作』(朝日選書)では、アメリカ人の原爆理解がどのように作り出されてきたかについて、二人に焦点を当てました。陰に隠れた彼らの策略を説明しながら原爆神話の形成と確立、そして虚構を解き明かしたつもりです。
タイムズ紙記者とハーバード大学長の貢献なくしては、今も続く原爆神話が確立されはしなかったでしょう。軍と裏取引をしたローレンス記者は原爆を世界に告げた大統領声明からメディアに提供された資料や模範記事まで準備し、放射能とその影響を否定する記事(例えば「原爆後の広島に放射能はない」)を書き続けました。つまり、フェイクニュースの拡散者でもあったのです。
ハーバード大学長となり原爆開発の統括責任者を務めたコナントは、若いころは毒ガスの開発と大量生産の第一人者でした。学長としてホワイトハウスの戦時内閣入りし、アメリカ人の原爆理解(例えば「原爆は多くの命を救った」)の決め手となった情報操作を自ら企て、神話を確立させました。さらに、人口密集地を原爆の標的としたのは、彼の提唱によるものです。
SNS時代の現象のように感じられるフェイクニュースとその拡散ですが、70年以上前の原爆神話の形成もフェイクニュースによるものでした。その影響は今も続いています。(広島市立大学国際学部教授・井上泰浩)