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福島第二原発の廃炉、ようやく東電が表明。地元から最終処分地を危惧する声 via Blogos

東京電力は6月14日、福島県に対して、東日本大震災後に運転を停止している福島第二原発(楢葉町・富岡町)の原子炉4基すべてを廃炉にする方針を表明した。震災後、福島県と同県議会、住民らが求めた「県内原発の全基廃炉」が、事故から7年を過ぎてようやく見えてきた。

立地の楢葉(ならは)町で45年続く町民の脱原発運動

45年以上も前の1972年に原発の大事故の可能性を指摘し、事故後も廃炉を訴えてきた福島第二原発立地町の楢葉町民による「公害から楢葉町を守る町民の会(現:原発問題福島県民連絡会)」を発足させた早川篤雄さん(宝鏡寺住職)は、震災後は「福島原発避難者損害賠償請求訴訟」原告団長も務める。早川さんらは福島第二原発の運転差し止めを求める裁判を起こしたが、最高裁で敗訴。原発が建設・稼働されても、一貫して危険性や情報隠しなどの問題を指摘し続けてきた。

報道で廃炉方針を知り、「廃炉は当然。福島第一原発と同時期に廃炉にすべきなのに、やっと(東電が第二原発廃炉を)言ったか」と早川さんは思ったという。同時に、「長らく私たちが『大事故は必ず起こる』と指摘し予言していたのに、東電に無視され続けた結果、11年の原発事故が起こった。事故後も被災地の深刻な状況、被災者の過酷な状況を目の当たりにしながら、7年間も県民の真剣な訴えを無視し続けてきた」と、憤りをにじませる。

早川さんが指摘するのは、東電や政府が企業の利益追求・利益優先を追求した結果、住民の生命や健康、暮らしがないがしろにされた点だ。「もうけられる限りもうけて、『地域住民の暮らしや命は関係ない』というのが東電の方針。そもそも、福島に原発立地を決めた理由は人口が少ない地域であったことが、『双葉原子力地区の開発ビジョン』(1968年財団法人国土計画協会)や『東京電力30年史』などでわかる。つまり最初から事故は想定の範囲だった。それを安全神話と札束でごまかしてきた」と話す。「今回は東電も、県民世論を無視できなかった。県民世論がそこまで追い込んだともいえる」早川さんが今後、最も懸念するのは、使用済み核燃料の保管・処理方法を含めた具体的な廃炉工程だ。

住民にはまだ何も示されていない。「私たちは廃炉に向け、労働者の身分保障をして安全な収束作業を進めることや、より安全性の高いキャスクを使った使用済み核燃料の乾式保管を求めてきた。福島第一原発はすでに乾式キャスクや保管庫ができているのに、福島第二にはその計画もなく、安全な帰還促進にはつながらない」と指摘する。

そして、今回の廃炉方針で福島県内は原発ゼロになるが、「原発ゼロ後」の福島から、次の事故を防ぐ努力を続けるのが現在世代の義務だと訴える。「次の事故を防げるかどうかは、福島県民が被害の甚大さをどれだけ伝えられるかにかかっている。誰にもこの苦しみを味わってほしくないというのが被害者共通の最後の望み。原発事故は福島で最後にしないといけない」

廃炉作業が進む福島第一原発では、溶け落ちた燃料(デブリ)の処理、トリチウム汚染水の海洋放流などの問題が山積する。「今、避難地域の住民の大半は戻らず、廃炉が終わる30~40年後には現在の高齢者の多くが亡くなっているだろう。人が住まないことをよいことに、地域が放射能汚染廃棄物の最終処分地にされる事態も予想される。放射能管理は数万年単位の事業。すでに10万年後の人類にこの事故をどう伝えるかという責任が今の私たちにはあることも忘れてはいけない」と、早川さんは廃炉で終わらない、未来に残された課題を指摘した。(文と写真 藍原寛子)

 

 

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