奥山はるな(東京社会部)
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山里の情景を描いたこの歌を、東日本大震災の津波や原発事故でふるさとを追われた福島県の人たちは、歌えなくなっているという。その理由を尋ね歩き、企画「歌えない『故郷』」(東京本社版朝刊で9月24~29日、計4回)を連載した。
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中には「歌える」という人もいた。既に福島県に戻っていたり、埼玉県に定住を決めたりと、気持ちに区切りをつけた人が中心だった。一方で25人ほどが「涙が出る」「聴きたくない」と打ち明けた。我慢強いとされる県民性からか、日ごろの苦労も「仕方ない」と耐え忍ぶ人が多いのに、この歌の話をすると、せきを切ったように言葉があふれだした。かつての暮らしを失った、無念の気持ちだった。
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また、福島県楢葉町からさいたま市に避難する女性(67)は「この歌を聴く度、何事もなかったように暮らす都会の人々との落差を感じる」と語った。
一人娘を連れて長野県松本市に移り住んだ、いわゆる「自主避難者」の女性(37)も、この歌に涙した一人だ。今年6月、同市で開かれた震災のチャリティーコンサートに参加すると「故郷」が流れた。つらかったのは「こころざしを果たして いつの日にか帰らん」という歌詞。「帰れるなら明日にでも帰りたい」という気持ちがこみ上げた。
自宅は原発から約70キロの距離にあり、避難区域ではない。だが「娘に何かあったらどうしよう」という不安を断ち切れなかった。地元に残った友人にかけられた言葉が忘れられない。「なんで逃げるの」「福島を捨てるの」
地元を離れてから、娘に言い聞かせたことがある。「ふるさとは福島だよ」。県外に出た福島の子どもたちが偏見にさらされ、いじめに発展したケースがあるのは知っていた。けれど、「悪いことはしていない。どこかでふるさとを思いながら生きてほしい」と自主避難の道を選んだ。
この女性のように福島の人たちは震災後、数々の条件や価値観の違いで分断されてきた。自宅は避難区域か、賠償金をもらったか、放射線の影響をどう考えるか、帰還するのかしないのか……。結果として県民の間にさえ、あつれきが生まれた。福島の人たちにとって、唱歌「故郷」を聴くこと、歌うことは、震災前の暮らし、そして帰還がままならない震災後の生活を無意識のうちに呼び起こしているのだと思う。