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そんな中、今年6月13日に亡くなったとされる原発作業員・山岸浩さん(享年50)の妻・光子さんが、怒りの声を上げた。「主人は、3畳もない犬小屋のような作業員宿舎の個室で誰にも看取られず死んでいたんです。しかも、具合が悪くなり約1週間前から、その個室で臥せっていたそうです。なぜ、仲間も会社も病院に連れて行ってくれなかったのか。もし気に留めてくれていたら、もっと長生きしていたと思うんです。それが悔しくて、今回お話することを決心しました」(光子さん=以下同)山岸さんは13日の朝、亡くなっているのを仕事仲間が部屋を訪ねた際に発見された。死亡推定時刻は13日午前0時とされるが、それはベニヤ板1枚ほどの薄い仕切り越しに、死亡推定時刻の30分ほど前まで人の気配がしていたという隣り部屋の作業員の証言から推測されたものだ。
「私が最後に会ったのは5月末に帰京した際。体調が悪い中、無理して浅草までデートしてくれたのが、最後の思い出となりました」
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それほど危険と隣り合わせの仕事なら当然、作業時間にも制限があるはずだが、「そこでは放射線量の関係で20分作業して1時間休むべきところ、実際は作業2時間、休み1時間のサイクルでやらされていると言っていました。“現場が青白く見えるんだ”と電話してきたこともありました」この他にも作業現場では安全のために数々の規制が設けられているが、それを守っていたら作業が進まないと、規則破りが恒常化していたと思われる話も、いろいろ聞いたという。
起床は午前3時半。1時間後には宿泊所の前に集合して現場へ出発。担当する場所によって異なるが、山岸さんが死の少し前までやっていた作業時間は、1日に作業6時間とミーティング2時間の計8時間。午後4時頃には宿舎に戻るが、翌朝が早いので午後8時頃には床に就いていたそうだ。帰京できるのは月に一度、3日だけだったという。
「主人は“肝臓が痛い”などと常々、体調不良を訴えていました。実は5月末に帰京した際、約20キロもやせ、歩行もままならない状態だったんです。当然、私は福島に戻るのを止めましたが、“自分は現場責任者だから休んでいられない”と行ってしまったんです」
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「主人は帰京時、毎日、作業終了時に計る放射能測定結果の紙を束ねて持ち帰っていたんですが、それを見ると、数値のほとんどがゼロだったんです。それに、遺体を引き取りに行った息子たちの話では、地元警察で解剖して放射能測定をした数値もゼロだったと説明を受けたというんです。いくらなんでも、そんなわけないでしょうと、葬儀の際に、派遣した会社の社長に問い質そうとしたんですが、不信感を抱いた息子と睨み合いになり、社長は線香の1本も上げず、“休日に亡くなったから労災は下りない!”と一方的に言い残して帰ってしまった。以来、互いに連絡を取っていない状況なんです」本誌が光子さんから見せてもらった山岸さんの「死体埋火葬許可証」の死因欄には「一類感染症等」と記されたところが消され「その他」となっていた。ちなみに、一類感染症とはエボラ出血熱、天然痘、ペストなど感染力や死亡率が極めて高い感染症を指す。光子さんによると、この他にも今回の山岸さんの死亡時の対応に関しては不可解な事実があるという。
「息子たちが警察から宿舎に戻ってくると、すでに主人の部屋は勝手に片づけられ、返してもらえたのは時計と携帯電話ぐらい。主人は几帳面な性格で、給与明細を束にして持っていたはずなんですが、その明細も放射線管理手帳も、戻ってきていません」
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「たとえば熱中症で仲間が倒れた際、チームの仲間が倒れた者を大きな布で覆って隠し、作業が中断しないようにしていたそうです。また、救急車やドクターヘリで急病人が搬送されることもあったそうですが、その際、自分が福島第一原発で働いていることは絶対に伏せるように指導されていたそうなんです。主人も入社時、福島第一原発で働くことを部外者に口外しないように誓約書を書かされたと、漏らしていました」
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一方、宿舎の住環境についても、地元でこんな話を聞けた。「同じような宿泊所は原発周辺にいくつもあります。事故当初は、いわき市内の旅館を借りるなどしていましたが、山間の遊休地に安い中国製プレハブを建てたほうが安上がりだし、管理もしやすいですからね。今回の話も、1週間も寝込んでいる人を病院に行かせないなんて、第三者の目がないからできること。実態は昔の“タコ部屋”と同じでしょう」(地元事情通)
最後に光子さんは言う。「主人は、地元の方が作業頑張ってとの思いで折ってくれた鶴を大切に保管していました。福島に行くとき、“未来の子どもたちのために放射能浴びて来るんだ”とも言っていました。だから納棺の際、その鶴を入れてあげました。主人なりに誇りを持って作業員をしていたんです。でも、こんな野垂れ死にのような形で……。他にも、同じように亡くなった方はたくさんいると思います。そんな犠牲のもと、事故になれば将来の子どもに責任を負えない放射能が出る原発の再稼動を目指していいのか、もう一度、考えていただきたい」[…]
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◇参照元福島原発作業員・釣崎清隆の『シン・ゴジラ』評! 大概の批評が見落とした“シン・ゴジラの本当の価値”とは?
『シン・ゴジラ』のクライマックスこそ、たゆまぬ試行錯誤と日進月歩の技術革新を続ける1Fという壮大な実験場のリアリティに迫っている。原発事故当初は日本の技術的敗北を見せ付けられたものの、事故後の国産極地作業ロボットの長足の進歩は僕自身が現場で目の当たりにしているし、忌憚のない収束技術の公募によって、日本全国のユニークなアイデアが1Fに集約され、実際にあらゆる実験が現在も行われている。
放射性物質の固化技術もそのひとつである。石棺化を超越するゴジラの「凍結」技術とはまさにこれであり、地に足の付いた近未来の技術なのだ。
人類の英知で原子力を制圧するという夢のある未来像は、反原発のノイズの渦中にありながらも、現在進行形で地道に追及され続けている。ゴジラという動く原子炉を人間の手で制圧するこの作品では、いったん敗北しても立ち上がる日本人の姿も描いている。