高知県の窪川原発は知恵で止めた 明治学院大・猪瀬准教授が著書 via 高知新聞

旧高知県高岡郡窪川町(現高知県高岡郡四万十町窪川地域)の窪川原発計画をめぐる住民の動きを研究していた、明治学院大学・猪瀬浩平准教授(36)=文化 人類学=の著書が出版された。タイトルは「むらと原発 窪川原発計画をもみ消した四万十の人びと」。東京電力福島第1原発事故を機に窪川原発を研究し、四 万十町を度々訪れた猪瀬さんは「30年前の窪川のものの見方で今を見ると、民主主義のありようなど、われわれに批判的な問題提起をしてくれる」と語る。

2011年3月11日、東日本大震災が起きた日に、猪瀬さんはタイ・バンコクで、窪川原発反対運動をリードした四万十町本堂の農業、島岡幹夫さん(77)と出会った。共に、日本の市民団体が援助するタイの農業塾に参加していた。

猪瀬さんは「津波や原発が爆発した映像をタイで見ながら、かつて窪川で原発を止めた話を、島岡さんから聞いた。震災後の世界をどう生きていくか、具体的な知恵や希望が、この話の中にあると感じた」。これがきっかけで約3年間、四万十町に通い、窪川原発の取材を重ねた。

窪川原発は1980年、当時の窪川町長が誘致を表明し、1988年まで、賛成・反対をめぐって窪川町を揺り動かした。

猪瀬さんは当時の窪川について、こう指摘する。「都市の人間が見る『町が二分された』というイメージで語ってはいけない。窪川の住民には、もともと(農作業などの場面で)折り合いを付け、関係性を決裂させない知恵があった」

また、原発に反対した「郷土(ふるさと)をよくする会」(野坂静雄会長=故人)もさまざまな立場を超えた多様性を持った組織として描き、「一枚岩じゃない強さと包括性があった」と語る。

一般的に、窪川原発の反対運動は、日本初の原発建設の賛否を問う住民投票条例を作ったことが評価される。

しかし、猪瀬さんはこの定説を「住民投票条例はあくまで最後の切り札。拙速に決めると、最悪のシステムになりかねない。窪川の住民は、地域の集会所などで原発について丁寧に学習会を重ねた。条例を使うところまでいかなかったプロセスこそ重要だった」と見る。

(略)

自分たちの暮らしは自分たちで守る―。猪瀬さんは、そんな旧窪川町民の思いをくみ取り、著書をこう結ぶ。

〈多様性をもち、それゆえに葛藤をはらみながら、決定的に決裂させなかったことこそが、窪川原発反対運動の要点であり、またそれを生み出した窪 川という地域の凄(すご)みである。背景には、原発騒動のはるか前から、窪川の農村に生きる人びとが、農業生産だけでなく、暮らし全体のあり方を議論する 場が存在していた〉

全文は高知県の窪川原発は知恵で止めた 明治学院大・猪瀬准教授が著書

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