【核ミステリー】28歳のカレンはなぜ怪死した? ― 原子力関連企業を内部告発した女性の「最期の7日間」via TOCANA

今からほぼ40年前の1974年11月のある深夜─―。28歳の女性の運転する車が、対向車線をはみだし、道路下の暗渠(あんきょ)に激突して、大破した。

ハンドルを握っていたのは、プルトニウム工場の労働者で、労働組合の活動家でもあるカレン・シルクウッド(Karen Silkwood/1946─1974・11・13)。警察はこれを単独の自動車事故、つまり自爆死と結論づけて幕引きをはかった。だが今日、彼女の死を疑いの眼で見ないものは1人もいない。捜査当局とFBIつまりアメリカ政府、そして全米の原子力関連企業とを除けば――。

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やがて彼女は、オクラホマ州のクレセントにほど近い、原子力関連企業カー・マギー社(Kerr-McGee)の運営するシマロン・プルトニウム製造 工場(the Cimarron plutonium plant)で、時給4ドルの技術者として働きはじめた。彼女が受け持った仕事には、放射性プルトニウムのペレットが詰まった燃料棒(fuel rods)を研磨する作業が含まれていた。
■健康と安全について調べる→嫌がらせが始まる

カレンはすぐさま、石油・化学・原子力労働組合(Oil, Chemical & Atomic Workers Union)に加わり、シマロン工場でのストライキに参加した。これが失敗に終わったとき、労働者の多くが組合を離れたが、交渉委員会のメンバーに選ばれ たカレン(彼女は、組合の歴史の中で、この地位についた最初の女性だった)は、工場労働者の健康と安全の問題を熱心に調べだした。すると、盗聴やさまざま な嫌がらせが始まったのだ。

まもなく彼女は、欠陥のある換気設備や、放射性物質のずさんな管理、また不十分なシャワー設備などが、労働者の汚染物質への暴露(放射線に被曝すること)を引き起こしていて、これが多くの健康規則に違反することに気づいた。

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■謎の三日間 なぜ、カレンは急速に蝕まれたのか?

死の直前の1週間に、彼女はまるで説明のつかない重度のプルトニウム被爆を2回も体験した。

まず、1974年11月5日のルーティン検査で、カレンは、自分が法的基準値の400倍を超えるプルトニウム被曝を起こしていることに気がつい た。工場で除染を受けた後、自己診断テスト用の尿と大便の収集キットを手渡されて、自宅に戻されたが、翌6日、出社した彼女に奇妙な事件が持ち上がった。 前日と当日、全く危険物を扱っていないにもかかわらず、再び、陽性反応が出たのだ。

7日、ルーティン検査は、「カレンの体の汚染がきわめて深刻な状態にあり、吐く息ですら周囲に危険をもたらす」と告げた。急遽、放 射線医学チームが彼女の自宅に駆けつけ、屋内の数カ所、特に浴室と冷蔵庫にプルトニウムの痕跡を発見した。この建物は後に解体されている。カレンと彼女の 同居人たちは直ちに検査のため、ニューメキシコ州のロス・アラモス国立研究所(Los Alamos National Laboratory)に搬送された。
・自宅にプルトニウムが塗られていたのか?

なぜ、この3日間で、カレンの体は急速に汚染されてしまったのだろうか? 彼女は、与えられたテスト用の採取ビンに、前もってプルトニウムが混入されていたのではないかと主張した。浴室の汚染は、カレンが7日朝、尿サンプルをこ ぼした際に発生したように思われた。この疑惑は、自宅で採取したサンプルが異常に高い汚染レベルを示したにもかかわらず、工場とロス・アラモスで採取した ものが、それをはるかに下回った事実と符合する。

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■家族がカー・マギー社を提訴。次々と怪死する関係者

そして1979年、カレンの父親と子供たちは、不法死亡および、プルトニウム汚染の故意過失(willful negligence)により、カー・マギー社を提訴した。リチャード・ラシュキが著した『カレン・シルクウッドの殺害』によれば、家族の雇った弁護士は 嫌がらせと脅迫を受け、それは肉体的な暴行にまでおよんだという。また、裁判のカギを握る証人たちは予定の喚問の前に、1人また1人と理由の知れない自殺 を図った。

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