住民投票で原発計画白紙 新潟県旧巻町、住民は分裂 (検証再始動 柏崎刈羽原発は今)via 日本経済新聞

新潟県の花角英世知事は6月の知事選で、柏崎刈羽原子力発電所の「再稼働の判断について県民の信を問う」と明言した。県内では1996年に東北電力の原発建設を巡って巻町(現新潟市)で住民投票が実施され、投票者の6割の反対で計画が頓挫した歴史がある。再び県内で原発を巡る民意が問われる可能性が高まるなかで、旧巻町の選択を検証する。

 

新潟市の中心部から車で50分ほど走ると、旧巻町にある角海浜と五ケ浜が見えてくる。両海岸は東北電の巻原発が計画された場所だ。

東北電が巻原発の建設計画を公表したのは1971年。同社は用地取得を進め、77年には町議会、80年には当時の町長が建設に同意した。69年には柏崎市と刈羽村が東京電力柏崎刈羽原発の建設に関して誘致決議をしており、両原発はほぼ同時期に建設計画が進められた。

当時は全国で原発の新設が進められていたが、巻町での計画を変えたのは住民投票だった。町長選で住民投票の実施を公約に掲げた笹口孝明氏が当選。96年に全国で初めて条例に基づいて実施された住民投票では投票率が88%に上り、建設反対派が投票者の61%を占めた。投票結果に法的拘束力はなかったが、原発計画に対する地元の強い意思表示となった。

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町内ではこの間、原発建設を巡る論争が続き、住民は疲弊した。笹口元町長は「何よりもチラシ合戦がずっと続いた」と当時を振り返る。賛成派と反対派双方が町内各戸にチラシを配り、それぞれの立場への投票を呼びかけるなど、町内の民意は二分した。

しかし、笹口元町長は「巻町の住民は建設計画が明らかになってから27年間にわたり、原発問題について考えてきた」と指摘。「1人1人が原発建設に関して十分な判断能力が備わっていた」と、原発建設の是非を住民投票に委ねた理由を明かす。

一方の東北電側の関係者も、複雑な思いで当時を振り返る。原発建設に賛成を取り付けるため、住民の説得工作に携わったあるOBは「『原発で事故は起こらない』と言って住民を説得した」と話す。その上で「しかし福島事故が起きた。結果としてウソをついてしまった。申し訳ない気持ちが今でもある」と本音を漏らす。

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仮に花角知事の再稼働に対する判断を民意が覆す結果になれば、柏崎刈羽原発の再稼働問題は一段と見通せなくなる。巻町の住民投票から20年以上を経て、原発を巡って再び住民が民意を問われる日が来る可能性は大きい。その日に向けて1人1人が原発に関する知識を深める必要がある。

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