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正月といえば、初詣。神社に向かった。しかし、参拝客の気配はなかった。
神社をあとにして、浪江駅近くで、歩いていた女性(80)に出会った。昨年の避難指示解除とともに二本松市の復興公営住宅から戻ったという。
歯科足りず40日待ち
新年を迎えて、どのような年になってもらいたいかを尋ねてみた。
「お医者さんにかかりやすくしてほしい」
とりわけ足りないのは、眼科や歯科。歯科に至っては40日待つこともあるという。日常の生活でも、「食料品は(南相馬市の)原町まで買いに行く」と話し、まだまだ町内の販売網が整っていないことを訴えた。
「。。。」
実際に訪ねてみると、コインランドリーを除いて、全て休業だった。
もっとも、そんな町の風景に違った見方をする住民もいる。
「色々なものがないといっても、ここには元々何もなかった。慣れてみるとなんとかなる」
こう話すのは、町内で電気工事業を営む男性(57)だ。その言葉からは、町外避難を続ける住民に感じている違和感がうかがえた。
「戻らない理由付けをしている。いつまでもひきずらず、町に戻るか、移るか決めればすっきりする」
指摘は厳しい。しかし、それこそが、東京電力福島第1原発事故が産み落としたコミュニティーの断絶かもしれない。
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浪江町は4月に小中学校の再開を予定している。
住民の立場で、早くから町の復興に関わってきたのが、浪江町行政区長会会長の佐藤秀三さん(72)だ。
佐藤さんは「浪江に戻ってきた人は不便や不安を覚悟して戻ってきた」と話す。自身も町の生活にさほど不便はないという。
「浪江に戻ってきた人同士で話しても、不満は話題にならない。それが『何か不安はないですか』と、かしこまって聞かれると、違った答えをすることになる。結果的に被災者とメディアが『風評』を作る格好になっている」とみている。
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