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福島)原発訴訟 原告の思いは via 朝日新聞

茨城県日立市。遠くに太平洋を望む丘に新興住宅地が広がっている。

浪江町津島地区の住民による「ふるさとを返せ 津島原発訴訟」の原告の一人、関場健治さん(62)が、この一画に移り住んで3年4カ月が過ぎた。

妻和代さん(59)、そして愛猫2匹と愛犬1匹との穏やかな暮らし。だが、関場さんは所在なさを感じている。住宅街には故郷のような豊かな自然がないからだ。「今でも自分の家とは思えないんです」

2016年5月の第1回口頭弁論での意見陳述で、ふるさとを懐かしんだ。

(略)

あの日。新潟県内で東日本大震災を知った。翌日、津島にたどり着くと、結婚して自宅を出ていた子ども3人が家族とともに帰ってきた。「原発がおかしい」と聞き、総勢18人で会津美里町の親戚を頼った。

だが、家族はバラバラにならざるを得ず、関場さん夫妻は愛猫を連れてくるため、津島の自宅に戻ることもあった。和代さんは8泊したこともある。被曝(ひばく)の危険が、そこにあることを知らなかった。

震災の年の3月末から、夫妻は会津若松市雇用促進住宅に。翌年7月には関場さんの退職金などで柳津町に中古住宅を買った。近くに知り合いはいなかった。

原発事故は、豊かな自然も人間関係もすべて奪い去りました。到底言葉で言い表すことができない喪失感です。私は、お金では買うことのできない極めて豊かな生活をしてきたことを、津島の生活を失った後に実感しました。

仕事や転職などで茨城県内に転居した子どもたちに求められて日立市に移ったが、夫妻は「避難者」だと近所に言えない。各地を転々とする間、「お金がもらえていいよね」などと心ない言葉を投げつけられたことがあるからだ。

「波風立てないように、遠慮がちにひっそりと暮らしています」と関場さん。そんな生活を和代さんは「隠れキリシタン」に例える。望郷の思いは、ますます強くなる。

「俺はここで死ぬのか」と思うと、何とも切ない思いで胸がしめ上げられるのです。「俺は先祖と同じように津島で死ぬのだ」という強い思いが改めて心の底からわいてくるのです。子どもの頃から魚を釣ったあの川のそばの、野鳥が群れていたあの森のそばの「あの家で自分は死ななければならない」との思いが全身に満ちるのです。なんとしても津島に帰りたい。(鈴木剛志)

全文は福島)原発訴訟 原告の思いは

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