もんじゅ廃炉、陰りゆく地元経済 国は「協力地」を見捨てるな=近藤諭(福井支局敦賀駐在)via 毎日新聞

 高速増殖原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)の廃炉作業の工程を定める廃炉計画が昨年12月、原子力規制委員会に申請された。7月には日本原子力研究開発機構が燃料取り出しを始める見通しだ。もんじゅ廃炉を巡っては、国の決定から計画申請まで1年かかった。政府サイドからは「見返りの地域振興策を求める地元側との折り合いがつかなかった」と、長引いた責任が地元(福井県、敦賀市)にあるかのような見方が示された。しかし、国の突然の廃炉方針に地元がついていけなかったのだ。廃炉が立地地域の切り捨てになるのはおかしい。

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国は原発の使用済み燃料を再処理して活用する核燃料サイクルを国策とする。「使った以上の燃料を生み出す夢の原子炉」とされたもんじゅは、その中心施設として85年に着工。敦賀では関連交付金約24億円を投入した温泉施設「リラ・ポート」なども建設された。しかし、現在、市街の商店街は活気が失われ、関連交付金は地元の頼みの綱となっている。電力消費地の大都市では分からないかもしれないが、今も「国策への協力」を誇りに思う人は多い。

 95年にナトリウム漏れ事故を起こし、その後、不祥事が相次いでも地元から「もんじゅ廃炉」を持ち出すことはなかった。国も地元が反旗を翻すことはないと甘え、おざなりな説明を続けてきたように見える。そんな歴史から、廃炉が現実になると地元側は思っていなかった。16年夏、「廃炉も含めて検討」との報道が出た際、市幹部は「国から説明がない」といらだった。渕上隆信市長は同年9月に上京し、文部科学省や経済産業省に存続を訴えた。だが、国が「廃炉も含めた抜本的な見直し」を提示したのはその翌日。渕上市長は「ばかにされている」と憤った。同年12月、国は廃炉を正式決定。地元には、国側から切り捨てられたように見えた。

 廃炉が国のペースで進むことに危機感を覚えた西川一誠知事と渕上市長はすぐには廃炉を容認せず、地元との協議継続を要求。西川知事が「やむを得ない」と表明したのは半年後の17年6月。同8月9日には、林芳正文科相らに廃炉を巡る安全確保の徹底と12項目の地域振興策を求めた。しかし、林文科相は「今月末に廃炉計画を提出する予定」と述べた。「要請内容を検討もしないうちに、計画提出のスケジュールを持ち出すのか」と再び地元は憤った。

要請への回答、具体性乏しく

 結局、国はその後、12項目要請に一部応える形での支援を約束した。もんじゅ構内に新設する試験研究炉の調査・検討費として新年度予算案に2000万円を計上。廃炉についての連絡協議会を設置し、地元が意見を言える体制も整った。

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 12項目要請には北陸新幹線の整備促進などもんじゅとは直接関係がない要求も並ぶ。だが、私はそこに「切り捨てられる」という不信感や将来に対する不安の裏返しを見るのだ。原発依存からの方向転換や脱却が簡単ではないのは、他の立地地域の状況からも明らかだ。12項目要請に対する国の回答は「支援を検討」「必要な助言等を実施」といった抽象的なものが多かった。水素エネルギー関連のインフラ整備もうまくいくかはわからない。いくつかの未来図が必要だが、なぜ、その助言を含めた回答をしないのか。

 国は半世紀にわたって、地元が原発に依存するよう導いてきた。その責任は重いのだから、廃炉の時こそ真摯(しんし)に地元と向き合う必要がある。今の仕組みをソフトランディングさせ、新たなまちづくりへと離陸できるようにしなくてはならない。

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