福島第1原発事故 東電旧経営陣初公判 真実こそが誠意 被災者、厳しい目 via 毎日新聞

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多くの人から古里と生きる糧を奪った原発事故。避難生活を余儀なくされる被災者は、法廷に立った東電旧経営陣に何を思うか。

 「事故の影響は今も全く収束していない。旧経営陣はその責任を感じて証言台に立ち、誠意をもって真実を話してほしい」。事故直後に福島県南相馬市から群馬県内に避難した男性(79)は強い口調で訴える。

 男性は福島から群馬県などに避難した住民ら137人が東電と国に損害賠償を求めた集団訴訟の原告の一人。南相馬市で居酒屋を経営していたが、事故で常連と店を失った。店の後継を託すつもりだった孫や次女とも別居を余儀なくされ、生きがいも奪われた。

 今年3月、前橋地裁で各地の同種訴訟で最初の判決が出た。東電と国の責任を認める画期的内容だったが、東電も国も控訴した。「『やっぱりか』とあきれた。東電には加害者という自覚が全く感じられない」と憤る。

 一方、福島第1原発が立地し、避難指示の解除が見通せない福島県大熊町から隣の田村市に避難した石田宗昭さん(78)は「旧経営陣が罰せられても、暮らしが良くなるわけではない。被害は償い切れない」と冷ややかだ。

 事故前は、3ヘクタールの田畑でコメと大豆、裏山では約3500本の原木でシイタケを栽培していた。自家製の「しいたけ味噌(みそ)」は町の特産品にもなり、全国から注文が入った。だが、事故が起きると、同居していた長男夫婦と孫3人とは分かれて避難し、今は妻と2人で中古住宅で暮らす。農業への未練を引きずりながら、小さな庭でキュウリやタマネギなどを育てる日々だ。

 東電への思いは複雑だ。原発のおかげで町は豊かになり、地域の特産品の即売会を東京で開いてくれた恩も感じる。「裁判は、東電が『復興に一層力を入れよう』と思う機会になればいい」と話す。【杉直樹、土江洋範】

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この日の公判では、起訴状朗読と3被告の認否に続き、検察官役の指定弁護士が1時間半超、弁護人が1時間弱にわたって冒頭陳述を行った。その後、指定弁護士と弁護人の双方が証拠の内容を計約2時間読み上げ、休憩時間を除くと約5時間にわたる審理となった。

 原発事故を巡る東電の刑事責任追及を求めてきた「福島原発刑事訴訟支援団」のメンバーなど被災者らも初公判を傍聴、閉廷後に永田町の参議院議員会館で報告会を開いた。福島県いわき市議の佐藤和良団長(63)は「ようやく(刑事裁判が)始まった。東電の経営陣にはしっかり罪を償ってほしい」とあいさつした。いわき市出身の社会学者、開沼博さんも裁判を傍聴。「裁判で事実の解明が進むことを望みたい」と話した。【飯田憲、平塚雄太、巽賢司】

東電のメモやメール、明らかに

 30日午後の法廷で、検察官役の指定弁護士は主張を裏付ける証拠として、東電内部の打ち合わせメモや担当職員らによるメールのやりとりなどを次々に明らかにした。

 東電の津波対策の担当者が2008年に送ったとされるメールには「マグニチュード(地震の規模)8の地震を設定すると、(想定される津波の高さは)従前を上回ることは明らか」などと記載され、「(原発を)停止させないロジック(論理)が必要」とも書かれていたと説明した。

 また、東電の技術者も参加する土木学会の同年の議事録には「十数メートルになる津波が来て浸水すれば致命的」などと記載してあったと指摘。「津波対策を開始する必要あり」などと記されたメモもあるとした。

 一方、弁護側も10メートル超の津波が来る可能性があるとする試算について、「誤差を含んでいる点を十分留意すべきだ」などと注意を促した当時の内閣府の指摘などを証拠として提出した。【近松仁太郎】

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