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一体のものとしての原爆と原発 潜在的核武装と闘う反原発運動へ 連載その1 武藤一羊 (ピープルズプラン研究所) via レイバーネット

◎武藤一羊さんの紹介
 原水禁運動の草分けとして反核運動に関わる一方で、第三世界との連帯運動の長い経験
をもち、アジア太平洋資料センターの創設者であり、その後ピープルズプラン研究所を立
ち上げてきました。福島原発以後の著書として『潜在的核保有と戦後国家-フクシマ地点
からの総括』があります。世界社会フォーラムにも深い関心を寄せてきました。

◯ 今から3年ほど前に福島の事故後に『潜在的保有と戦後国家―フクシマ地点からの総
括』(社会評論社、2011年)という本を出して、原発と原爆の関係を論じたことがありま
す。これを書いたときには野田内閣でしたが、その後、第二次安倍政権ができ、できたと
思ったらあれよあれよという間に国家改造に上からとりかかり、それに対する抵抗も前に
は考えられなかったような規模と性格で始まっています。
◯  原爆と原発という問題はわたしにとっては、かつては別のものでした。60年近く前、
1957年に、私はできたばかりの原水協(1955年設立)の事務局で、国際部を担当するスタ
ッフでした。その年、広島では第3回原水爆禁止世界大会が開かれ、私もそのために寝る
間も惜しんで活動していました。
◯ この大会で私は、初めて被爆者の方たちに会い、その声も聞きました。そして初めて
、原爆資料館にも行きました。中央に破壊された広島を示す大きなパノラマもあり、生々
しい遺品などが並べられていて、あらためて大きいインパクトがありました。被爆の惨状
についてはすでに『朝日グラフ』などが出て伝えられていましたが、この資料館で生にそ
れに触れることは別のことでした。

(略)
原爆の被災の展示と平和利用の展示が背中合わせだったので
す。そうとうな違和感がありました。
◯  当時原子力平和利用というトピックは新聞や雑誌で大きく取り上げられていて私も一
通りの知識はもっていましたが、まさか原爆の惨禍を知らせるこの資料館に、原子力平和
利用を讃える展示室がつながっているとは想像つきませんでした。ちょっと異様なコント
ラストでした。
 人類の偉大な科学的達成、無限のエネルギーの源泉、これからの生活は一変する、そう
いう筋の展示でした。アイソトープがいかに医学に役立つか、原子力飛行機とか原子力列
車などの模型。人類の未来は原子力にある、人類は原子力時代に入った、それはまったく
新しい時代だ、そういうメッセージです。
◯ そういうかたちで、原子力平和利用というものが、そのころ、1950年代に、日本に持
ちこまれました。原爆資料館になぜ平和利用の展示室があったのかを私が知ったのは、ず
っとあとのことで、原水爆禁止運動の生みの親の一人である広島の森滝市郎(注1)さんの
著書からでした。
 アメリカが原子力平和利用の博覧会を世界中で組織し、それを広島にも持ち込んできた
のです。会場がないので、原爆資料館の展示物を全部持ち出し、そこでこの博覧会を開催
した。1956年のことです。その展示の一部が資料館に「寄贈」され、特別室で展示されて
いたというわけです。 次回へ続く。

全文は一体のものとしての原爆と原発 潜在的核武装と闘う反原発運動へ 連載その1 武藤一羊 (ピープルズプラン研究所) 


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