Daily Archives: 2016/04/26

NHK籾井会長が地震報道で「原発は公式発表以外報道するな」と指示! 震度表示地図から川内原発のある鹿児島が… via LITERA

やっぱり地震報道は歪められていた。NHKで、籾井勝人会長が熊本大地震の原発への影響について、“政府の公式発表以外は報道しないように”と指示していたことが判明したのだ。 今月4月23日付の毎日新聞によれば、20日、NHK放送センターで開かれた震災対策本部会議で、籾井会長は「原発については、住民の不安をいたずらにかき立てないよう、公式発表をベースに伝えることを続けてほしい」と発言したという。 つまり、被災現場に近い原発の報道に関し、頻発する地震と原発の問題を懸念する地元住人や識者のコメントなど“独自に取材した情報”ではなく、あくまで政府や行政の“発表”や“方針”だけを報じろ、と指示したわけだ。 しかも、籾井会長の“指示”はそれだけではなかった。籾井会長はくわえて、「食料などは地元自治体に配分の力が伴わないなどの問題があったが、自 衛隊が入ってきて届くようになってきているので、そうした状況も含めて物資の供給などをきめ細かく報じてもらいたい」という指示まで行っているのだ。 熊本大地震で懸念される原発への不安や危険性を封じ込め、一方で救援物資は自衛隊によって十分届いていると安全、安心をアピールする。これは被災した人びとの窮状の実態は放り出し、政府にとって都合の良いことだけを報道すると宣言したに等しい。 このように大本営発表だけが流され、しかも政府に都合の良い報道だけが行われたら、一体どうなってしまうのか。2011年、福島第一原発で事故が 発生した際、原発広告漬けのメディアは根拠もない安全神話を垂れ流しつづけたが、実際は故・吉田昌郎所長の調書が示していたように「東日本壊滅を覚悟す る」ところまで深刻化していた。ひとたび原発で事故が起これば、多くの命が危険に晒されるのだ。 (略) 川内原発近辺の活断層や愛媛県の伊方原発付近で中央構造線が大きく動くことも十分ありうることで、先の専門家からは具体的にその可能性が心配されている。 ところが、籾井会長はこれらの問題に一切触れるな、「川内原発は地震の影響はない」という電力会社と政府の“PR”や“意向”を垂れ流しつづけろ、人びとの命よりも政権を守ることのほうが重要だ、というのである。 この籾井発言は、まさしく公共放送の責任放棄というほかに言いようがない。籾井氏といえば会長就任時の記者会見で「政府が右と言うのを左と言うわけにはいかない」と信じがたい見解をあきらかにし、その後、NHKの報道は政権批判を封印。そして今回、政権のPRチャンネルであることを裏づける指示を公言したというわけだ。 だが、こうした籾井会長の宣言以前から、すでにネット上ではNHKの震災報道に疑問の目が向けられていた。そのひとつが、地震発生後に出された震度速報の不自然な“地図のトリミング”だ。 最初の地震が発生したのは14日の21時26分頃だが、その瞬間、NHKでは『ニュースウオッチ9』が放送中だった。番組では、まず緊急地震速報 が画面に表示され、つづけて「熊本地方が震度7」ということが判明、それを伝えたのだが、なぜか画面に映し出された地図は鹿児島県の上部から下がカットさ れた不自然なものだった。そのため、宮崎県南部あたりに表示されていた震度3という数字も半分が切れており、鹿児島県は震度さえ表示されなかった。 ちなみに、同時間帯に地震報道に切り替えた日本テレビの場合、鹿児島県薩摩が震度4、宮崎県南部平野部が震度3だと地図上に表示して伝えている。 NHKはその後、紀伊半島までの震度が表示された広域地図を出し、詳細な震度を伝えたが、しばらくするとまた再び最初と同じ地図に変更。4月16日未明の“本震”発生直後も同じ不自然な地図を使用し、またしても鹿児島県の震度は地図上に表示されなかった。 なぜ、NHKは鹿児島県の震度を地図で伝えなかったのか。いや、なぜ鹿児島県上部までしか入っていない地図だったのか。──ひとつわかることは、 地図がトリミングで切られたそのすぐ下に、薩摩川内市が位置するということ。言うまでもなく、その場所には日本で唯一再稼働中の川内原発が建っている。 全文はNHK籾井会長が地震報道で「原発は公式発表以外報道するな」と指示! 震度表示地図から川内原発のある鹿児島が…

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原発事故の“不都合な”因果関係…国の“強制帰還策”で福島の甲状腺がんは激増する!? via 週プレNEWS

福島県で多発する甲状腺がん。福島原発事故後に県が始めた検査で、現在までに甲状腺がんかその疑いがあると診断された人は166人に上る。通常(100万人に年2~3人程度)の146倍~200倍という高い発症率だ。 県は現在も放射線被曝(ひばく)との因果関係を認めていないが、果たして…? 前編記事(「福島で多発する甲状腺がんと原発事故の“不都合な”因果関係」)に続き、福島の甲状腺がんが原発事故由来なのかどうかを徹底検証するーー。 県民の甲状腺検査を行なう、福島県「県民健康調査」検討委員会(以下、検討委)は、甲状腺がんの発症と放射線被曝の因果関係を認めない理由のひとつに、「チェルノブイリと比べて(原発事故)当時5歳以下からの甲状腺がんの発見がない」ことを挙げる。 だが、この点についてロシア研究家の尾松亮(おまつりょう)氏は「チェルノブイリの状況は今の福島と似ている」と指摘する。 「ロシアで事故時0~5歳の層に甲状腺がんが目立って増えたのは、事故の約10年後からでした。事故直後から増加が見られたのは事故時に15~19 歳の子供で、この年代は5年後あたりから甲状腺がんが目立って増えています。ウクライナ政府の報告書でも、事故から5年くらいの間は0歳から14歳の層に 顕著な増加は見られず、15歳から18歳の層に増えました。つまり、ここだけを見れば、むしろ福島の今の状況との類似性が目立つのです」 尾松氏の指摘の根拠は、2011年にロシア政府が発行した「ロシアにおける事故被害克服の総括と展望」と呼ばれる報告書に基づいている。 検討委が開いた2月の会見でも、このロシア政府報告書についての質問が出た。だが委員から出た答えは「読んでいない」だった。(甲状腺がんの発症と放射線被ばくの因果関係は考えにくいとする理由として検討委が挙げている)「チェルノブイリ事故に比べて被曝線量が少ない」という点に関しても、福島の事故当時に県民の甲状腺への被曝量をきちんと測定できたのか疑問が残る。 弘前大学の床次眞司(とこなみしんじ)教授は、2011年の4月11日から16日まで浪江町や福島市で62人の甲状腺被曝調査を行なった。しかし県の職員から「それ以上の検査は不安をあおる」として止められ、被曝量のデータが集まらなかった。放射性ヨウ素131は半減期が8日と短く、今となっては、測定することは不可能だ。 (略) 安定ヨウ素剤の服用基準は日本では年齢に関係なく、「被曝量」100mSv(ミリシーベルト)だった。しかし、アメリカやフランスなどでは18歳以 下は50mSv。国際原子力機関も2011年6月に服用基準を100mSvから50mSvに下げた。チェルノブイリ原発事故で約50mSvの被曝でも甲状 腺がんが増えたためだ。 そのため日本も50mSvに下げることを決めている。床次氏が調べた65人の分析結果では、5人の被曝量がこの50mSvを超えていた。検査を止め られなければ、被曝の実態がより明らかになったことは間違いない。福島では甲状腺がんが多発している上に、このようなデータも明らかになってきているた め、被曝との影響は考えにくいとする検討委の中でも、ここにきて委員間の認識の相違が目立ち始めている。 前出の床次教授は、原発事故直後の福島で測定できた数少ない甲状腺被曝の測定結果をもとに、福島はチェルノブイリよりも被曝量が低かったとした。だ が、甲状腺がんと診断された人たちの被爆量をきちんと測っていないのに、この測定結果から甲状腺がん多発は放射線の影響とは考えにくいとする検討委の方向 性に、最近の報道番組のインタビューの中で疑問を投げかける見解を示した。 (略) それでも検討委や甲状腺検査を行なう福島県立医大は、一向に放射線との関連を認める気配を見せない。そのため、本当のことを知りたい患者同士が情報交換や政治などへの働きかけを目的として「311甲状腺がん家族の会」を3月に発足させた。 (略) 「放射線の影響ではないと言いながら、福島県立医大はなぜ何度も検査をするのか。被曝の影響が考えにくいというなら、他の原因をきちんと探ってほしい。再発や転移が不安で仕方ない」 会の代表世話人のひとり、河合弘之弁護士は、 「原発事故の訴訟が全国で起きているが、損害の核心は甲状腺がんや白血病などを引き起こす放射能被害。放射能の健康被害が心配だからみな避難をし、結果的に家や財物を失っているのです。だからこそ因果関係を社会的、政治的に立証していく」 という。患者の会とは別に、被曝で不安を抱えている人たちに情報提供をする「甲状腺110番」も間もなく発足する予定だ。 日本の原発事故被災者への手当が不十分なのは、チェルノブイリ事故が起きたウクライナと比較することでわかる。ウクライナでは「チェルノブイリ法」 をつくり、被災児童への手当を徹底している。年間の被曝線量が0.5mSv以上ある場所に3年以上住んでいれば被災児童と認定される上、甲状腺がん患者で あれば、被曝量の数値を問わずに法律で保護される。 (略) 一方、福島県では被災者が受けられる健康診断の対象範囲も狭く、なおかつ甲状腺検査になると成人を過ぎれば5年に1度の頻度でしかない。その上、住民に原発作業員と同じ年間20mSvまでの被曝を許容し、除染も終わらないうちに避難指示を次々に解除しようとしているのが現状だ。 甲状腺がんの原因は、すでに消えてしまった放射性ヨウ素だけに限らない。がん治療のためにエックス線やガンマ線などを頭や首などへ照射した経験も発 症因子になるといわれている。つまり、いまだに土壌にたくさん含まれているセシウムを含めた放射線に被曝すること自体が発症リスクにつながりかねないの だ。 この先、国と自治体の福島帰還政策が変わることはないだろう。となると、住民が甲状腺がんの発症リスクを避けるには自衛するしかない。大切なのは、すでに多くの住民は実行しているが、大きな被曝リスクのある場所に子供は帰さないと徹底することだ。 全文は原発事故の“不都合な”因果関係…国の“強制帰還策”で福島の甲状腺がんは激増する!?

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Remembering the Time America Nuked Spain by Accident via Vice

[…] So here’s what happened: on January 17, 1966, a US B52 bomber collided with a refueling aircraft in Spanish airspace. The crash meant that four hydrogen bombs were dropped. Two hit the ground at speed, imploding and releasing plutonium … Continue reading

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Costing Earth: After Chernobyl via BBC4

When radioactive particles from the Chernobyl disaster landed in Germany’s Black Forest one woman decided to change her country’s relationship with nuclear energy forever. Julian Rush meets Ursula Sladek, founder of EWS Energy and prime mover in Germany’s abandonment of … Continue reading

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チェルノブイリ事故から30年 記憶は風化も「石棺」は残る via 日刊アメーバニュース

1986年に旧ソ連で発生した「チェルノブイリ原子力発電所事故」から4月26日で30年になる。 事故後、発電所があったエリアを中心に複数の村が廃村になり、住民は他の地域への疎開を余儀なくされた。その後のソ連崩壊を受け、このエリアはウクライナとベラルーシの2国に分断されている。 事故直後は、疎開した住民らの間で元の村に戻りたいという機運が盛り上がりを見せていたこともあるが、30年という時間の経過で亡くなった人も多い現在はどうなっているのだろうか。話を耳にしなくなってしまった。 いわゆる「記憶の風化」がいえるのかもしれない。現在、ベラルーシ側の一帯は「ポレーシェ国立放射線生態学保護区」とされ、立ち入りには許可が必要なエリアになっているようだ。 ウクライナ側の都市「プリピャチ」は、住民が避難したまま廃虚と化した。事故後の様子はたびたび、ジャーナリストの取材によって明らかになっているので、写真や映像を目にしたことがある人もいるだろう。 (略) いったんは汚染の封じ込めに成功した「石棺」も、耐用年数は30年。現在は、この「石棺」をさらにかまぼこ状のシェルターで覆う「石棺の石棺化」工事が進められているようである。 一方、主な汚染源とされた放射性物質「セシウム137」の半減期(半数の物質が他の安定した物質へ姿を変える期間)は30年。 当時を知る人々の声が届かなくなり、「石棺」が寿命を迎えても、セシウムだけは世代交代に至らず、まだまだ現役ということになる。 全文は チェルノブイリ事故から30年 記憶は風化も「石棺」は残る 関連記事: 世界の原発、行方は チェルノブイリ事故から30年 via 朝日新聞

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