(核リポート)特別編:「福島と似ている」強制移住の村 via 朝日新聞

◆すべては原爆から始まった:5

ロシア・ウラル山脈の南に広がるチェリャビンスク州は湖に恵まれた土地だ。ソ連の第1号原爆を生んだ核施設マヤークがここに建てられた大きな理由の一つは、原子炉の冷却に欠かせない豊富な水だった。マヤークの高レベル放射性廃液に汚されたテチャ川から離れると、果てしない緑の草原と、天空の青を映した湖面の輝きに目を奪われる。

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■ヒバクシャとして生きる

最後に強制移住の対象となったムスリュモボ村出身のヒバクシャ、ゴスマン・カビーロフさん(58)とミーリャ・カビーロワさん(56)夫妻は今、 チェリャビンスク市内に住んでいる。ロシアでは多くの人が週末になるとダーチャ(別荘)で暮らす。2人のダーチャは、今の住居と「消えた」故郷ムスリュモ ボ村との間の、湖に面した小さな村に買った。湖は、まるで自分の庭のようだ。

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ゴスマンさんはテチャ川周辺で慢性放射線病と認定された約940人の一人。生殖細胞が 影響を受け、子どもができなかったという。ムスリュモボ村で生まれ育ったゴスマン夫妻は、月にそれぞれ2500ルーブル(約6250円)の補償金を国から 受けている。村にあったミーリャさんの実家が2007年に強制移転のため壊された後には、移転補償金の100万ルーブル(約250万円)を受け取った。た だ、いずれも行政側との厳しい交渉の末にやっと手に入れたという。

■無人の土地、生んだ悲劇

今はホテルの事務職として働くミーリャさんはかつて、女性社会グループ「アイグリ」の代表を務めた。「アイグリ」とはテュルク語で「月の花」を意 味する。多くの住民に核の問題を知ってもらうため、「難しいことを分かりやすく」というタイトルのチラシを発行し、低線量被曝(ひばく)の知識や、放射線 のリスクを減らすための情報を提供してきた。

2014年8月、ミーリャさんは広島で開かれた原水協の原水爆禁止世界大会に招かれている。原爆投下被爆者ではなく、原爆製造段階のヒバクシャとしてだ。そして、「女性のつどい」で壇上からこう連帯を呼びかけた。「放射線に国境はありません。広島、長崎、チェルノブイリ、福島を二度と繰り返さないために、団結してたたかいましょう」

ゴスマンさんとミーリャさんの小さなダーチャで、お茶を頂きながら話していると、「日本は憲法9条を無くしてはいけない。誰にとっても戦争は必要ないから」といった話題も出た。しかし、2人が最も関心を寄せていたのは、東京電力福島第一原発事故を経験した福島のその後だった。

「ここでは、みんな福島のことを知っています。福島と、ここで私たちが強制移住させられたことは非常に似ています。福島は私たちすべてを揺さぶりました」

2人の故郷は、原爆の製造が原因で「消えた村」となった。原発事故が原因で我が家を追われたのが福島の被災地だ。原爆と原発。由来は違っても、放射能が人を追い払い、無人のエリアを生んだ結末は同じだ。

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歴史に「if」(もしも)はないかもしれないが、ゴスマン夫妻が語った次の言葉は否定できないように思えた。

原子爆弾から「原子力の平和利用」、すなわち原子力発電が始まった。原爆がなければ、原発もなかった》

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