Daily Archives: 2015/05/02

原発と憲法考えよう 我孫子で3日集い via 東京新聞

 「第34回憲法を考える市民の集い」が五月三日午後二時半、我孫子市民プラザで開かれる。関西電力高浜原発3、4号機の再稼働差し止め仮処分の弁護団共同代表を務める河合弘之弁護士が、原発問題と平和憲法の関わりなどについて話す。  この件で、福井地裁は運転差し止めを認める仮処分決定をした。河合さんはこのほか、東京電力株主代表訴訟の弁護団長や飯舘村民救済弁護団の共同代表なども務める。監督としてドキュメンタリー映画「日本と原発」を撮り、福島第一原発事故の背景に迫った。  講演会は、市民らでつくる実行委員会が主催。一九八〇年から毎年、憲法記念日に合わせて、憲法にまつわる課題や問題を考える会を開いてきた。第一回は女性の参政権獲得に尽力した故・市川房枝だった。 (略)  浜田さんは「憲法について考えるため、問題提起をしていきたい」と話した。参加費は五百円で要申し込み。問い合わせは、実行委=電04(7183)2789=へ。 (三輪喜人) 全文は原発と憲法考えよう 我孫子で3日集い

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「事故さえなかったら…」 原発避難訴訟の原告ら via 東京新聞

東京電力福島第一原発事故の影響で、福島県から群馬県内などに避難している四十五世帯百三十七人が、国や東電 に慰謝料など計約十五億円の損害賠償を求めている訴訟の本人尋問が一日、前橋地裁で初めて開かれた。 (略)  尋問では、原告七人それぞれが避難生活の苦しさや将来への不安を証言した。  「原発事故の影響で大切な主人を失った」。震災時は福島県いわき市に住んでいた五十代の女性=県内在住=は昨年十月、悪性脳腫瘍で夫が他界したことを告白した。五十二歳だった。  震災から二カ月後、夫が勤める運送会社の支店があった群馬県内への異動が決まり、家族寮のあった栃木県佐野市に転居した。仕事場の二階にあった寮 は、昼夜問わず人や車の出入りがあり、夫は不眠に悩まされた。実家の家族と離れ離れになったこともあり、ある日、妻に「頼れる人がおまえしかいなくなっ た」と泣きじゃくった。温厚で優しかった夫が見せる初めての姿だった。  「いわき市に戻りたいが、放射能の不安を考えると戻りたくても戻れない」。生前訴えた夫の言葉を女性は忘れられない。「大切な主人を失い、これから一人でどう生きていけば良いか不安。国や東電には起きてしまった事故の償いをしてほしい」と求めた。  五十代の原告男性は、事故から半年後、中学生だった三女が「被ばくして自分や家族が死んでしまう夢を見た」と泣きながら訴えたため、福島県郡山市 から群馬への避難を決意したと証言。事故後も婚約者と地元に残った二十代の長女が、放射線による影響を恐れて妊娠中絶したことも明かし、「事故が起きてい なかったら普通の生活が送れていたのに」と訴えた。  この日、米原子炉メーカー、ゼネラル・エレクトリック(GE)社に長年勤めた原子力コンサルタントの佐藤暁氏(57)が証人尋問に立ち、福島第一 原発の耐震設計の目安となる揺れ「基準地震動」の想定が、米国と比べて甘く「国際的な慣行から逸脱している」と指摘。「津波の脅威の解析で過小評価があっ た」などと指弾した。佐藤氏への被告側の反対尋問は後日開かれる。 全文は「事故さえなかったら…」 原発避難訴訟の原告ら

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