井上ひさしさんの「原爆取材手帳」を手にして思う、日本と地球の未来 via Cakes

2014年の晩秋、亡くなった井上ひさしさんの鎌倉のお宅を訪ねました。 茅葺きのお屋敷は、車も通れない細い坂道を登りきったところにありました。書斎に案内していただくと、机には井上さん愛用の万年筆とめがねが無造作に置いてあり、今も故人が原稿を書き続けているかのようです。
50年前に書かれた「原爆取材手帳」は、書斎の隣の大きな書庫のすぐ取り出せるところに、整然と並べられていました。両てのひらにちょうど収まるぐらいの大きさの、黒い表紙の手帳でした。
思わず背筋を伸ばし、指先でつまむようにしてページを開きます。

・どのような理由があろうが「あらゆる核」を認めない。——これが絶対的に正しい。
・二十年たっても、死んだ子は十四才のまま。
・原子力発電所 全世界に四百基以上 日本に五十基

圧倒されました。
被爆者の手記の書写、小説や新聞記事からの引用、井上さんの反核への思いなどが、ページを繰っても繰っても、特徴のある文字でていねいに記されていま す。広島で被爆した父娘を描いた戯曲『父と暮せば』は、これらの手帳に綴られた言葉の果てに誕生したのだと、深く合点がいきました。

そのちょうど1年前、長崎を訪ねました。「核兵器廃絶 地球市民集会ナガサキ」というイベントの「ナガサキの声 継承する若者たち」という分科会に、 10代、20代の若者たちに混ざり参加しました。レッド国(核兵器保有国)イエロー国(核の傘に依存する国)グリーン国(核兵器廃絶推進国)の代表が議論 を戦わせる国際会議の寸劇がとてもわかりやすく、その後のグループディスカッションの活発な議論につながりました。

え、これ、長崎の大学生が企画したんだ。九州全域から、高校生も来てるし、就職したてのサラリーマンも参加してる。とても新鮮な驚きでした。彼らといっ しょに、平和を願うメッセージを込めた本を編んでみたい。終戦から70年たっても100年たっても風化しないメッセージを形にしたい。そう考え、長崎大学 に電話を入れたのが、企画の始まりでした。

小学館OBで『日本国憲法』の編集者・島本脩二さんにも協力を求めました。島本さんと話をするうちに、広島・長崎から福島へ、核兵器から原発へとテーマ は広がりました。核兵器と原発はコインの裏表の関係にあり、「核」は経済の問題ではなく倫理の問題だと認識しました。

続きは井上ひさしさんの「原爆取材手帳」を手にして思う、日本と地球の未来 

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