大分・伊方決定 社会通念というリスク via 中日新聞

司法はまたしても「社会通念」という物差しを持ち出して、四国電力伊方原発(愛媛県)の運転差し止めを求める住民の訴えを退けた。原発リスクにおける「社会通念」とは、いったい何なのか。

 伊方原発は、四国の最西端、日本一細長い佐田岬半島の付け根にある。

 対岸は、豊後水道を挟んで九州・大分だ。最短で約四十五キロ。半島の三崎港から大分側の佐賀関港へは、フェリーを使えば七十分。古くから地理的に深く結び付いており、人や物の行き来も頻繁だ。

 伊方原発に重大な事故が起きたとき、原発の西側で暮らす約四千七百人の住民は、大分側に海路で逃げることになる。

 細長い半島には、ほかに逃げ場がないのである。

 伊方原発は「日本一再稼働させてはいけない原発」と言われてきた。

 わずか八キロ北を半島に寄り添うように、長大な「中央構造線断層帯」が九州へと延びており、南海トラフ巨大地震の震源域にある。

 さらに、伊方原発は阿蘇山から百三十キロの距離にある。

(略)

 大分地裁は、やはり四国電力側の主張を丸のみにするかのように「原発の耐震性評価は妥当」と判断し、「阿蘇山の破局的噴火が生じることが差し迫っているとは言えない。破局的噴火に相応の根拠がない場合、社会通念上無視できる危険である」とした。

 三日前の広島高裁と同様、またもや「社会通念」という、科学でもない、法律でもない、あいまいな“物差し”を持ち出して、大分地裁も、住民側が主張する具体的な不安を退けた。

 重ねて問う。「社会通念」とは、いったい何なのか。

(略)

このような「社会通念」が定着し、原発が次々と息を吹き返していくとするならば、「安全神話」の復活以上に危険である。

 
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