1991年から知事を3期12年務めた井本勇さん(92)が23日、亡くなった。昨年10月まで何度か取材に応じていただき、九州電力玄海原発(玄海町)と自身の関わりについて聞いた。
「時代が変わりましたよ」。井本さんは佐賀市内の自宅で、庭を見ながら原発への思いを語った。1965年4月、県から玄海町に正式に原発計画が伝えられる前、県の工鉱課係長だった井本さんは上司から原発誘致を命じられた。町に通って関係者を説得した当時を振り返り「安全は抜きにして、地域振興には原発が手っ取り早いという雰囲気だった」と、県の主導で原発を誘致したことを鮮明な記憶をもとに語った。
だが、井本さんは知事になり、全国で原発による発電量がピークを迎えた1998年、「今後、原発は誘致しない」と明言した。発言の背景には、当時県議として井本県政を批判していた宮崎泰茂さん(75)たちの原発批判があったという。宮崎さんは井本さんの訃報に接し「政治思想は違っても膝を交えて話す姿勢を評価していた」と惜しんだ。
そして99年9月、茨城県東海村でJCO臨界事故が起きると井本さんは「怒りに似た気持ちを覚える」と述べ、玄海原発3号機で実施方針だった「プルサーマル発電」も「環境は厳しい」と国と九電に異を唱えた。
県の危機管理や避難体制の実行性に疑問が投げかけられる中、山口祥義知事が昨年4月に「国の責任だ」と原発再稼働に同意する前、井本さんを訪れた。「国から来た人は地元のことを知らんから自分を売ろうとするんです」。総務省出身で観光に熱心な山口知事を心配した。「山口知事さんにも言わんですけど、時代が違う」。
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