Daily Archives: 2018/04/05

NRA to remove most dosimeters in Fukushima as radiation drops via The Asahi Shimbun

Japan’s nuclear watchdog will remove 80 percent of its radiation dosimeters in Fukushima Prefecture to slash costs and alleviate unnecessary concerns, as air dose rates have decreased significantly since the nuclear crisis unfolded in 2011. The Nuclear Regulation Authority (NRA) … Continue reading

Posted in *English | Tagged , , | 5 Comments

〝40億円の新校舎〟で開校式。復興の象徴は「無料」尽くし。村内授業再開にこだわった菅野村長。6000万円でタクシー通学も via 民の声新聞

40億円の新校舎〟が始動した。飯舘村立認定こども園(までいの里のこども園)と3小学校(草野、飯樋、臼石)、飯舘中学校の開園・開校式が1日午前、新装された旧飯舘中学校の体育館で行われ、国会議員などから復興のシンボルとして期待する声が相次いだ。しかし、保護者が重視したのは復興よりも子どもたちの友人関係。被曝リスクへの不安も残る。PTAの反対を押し切り、村内授業再開にこだわった菅野典雄村長。制服代も給食費も教科書代も無料、自宅から校舎までのタクシー代も無料という至れり尽くせりの新校舎。財政負担の懸念も抱えたまま、6日から授業が始まる。 【「村の復興拠点、復興の光」】 主役は子どもたちなのか、復興を進めたい大人たちなのか。不思議な式典だった。 村のキャラクター「イイタネちゃん」の公式ソングが流れ、新しい校舎に通うことになる子どもたちが体育館に入場。国歌、村民歌を斉唱した後、菅野典雄村長が「待ちに待った村内での認定こども園と小中学校の開園・開校式。村長として感激もひとしおだ。このような大事業に(避難指示解除から)わずか1年もかけずにこぎつける事が出来たのも、まさに国の特段の御配慮・御支援があってのこと。そして、県の陰に陽にの応援のおかげでもある。改めて心より御礼を申し上げる。多くの先生方の熱い情熱、保護者の素晴らしい理解、子どもたちの故郷への想いが重なっての今日だ」と挨拶。「本当に本当にありがとうございました」と締めくくる力の入れようだった。 中井田榮教育長は「皆さんが帰って来るのを村をあげて待っていた。これからは学校のチャイムの音とともに、皆さんの元気な姿が飯舘の空に響きわたる。これほどうれしい事は無い」と子どもたちに語りかけた。「保護者の皆さんは今日に至るまでいろいろと悩んだと思うが、村の学校に通わせる事を御決断いただき、心から感謝申し上げる。認定こども園と小中学校が、必ずや村の復興拠点、復興の光となるよう力を尽くしていく」。 来賓として出席した文部科学大臣政務官(兼内閣府大臣政務官・復興大臣政務官)を務める新妻秀規参院議員(公明党)は「このように100人を超えるお子さんが出席する中で開演・開校を祝える事を大変うれしく思う。『までいの心』に基づいた、飯舘村だからこそ出来る素晴らしい教育が行われることと思う。国としても最大限の支援をしていく」と祝辞を述べた。式典には、平木大作経産大臣政務官、武部新環境大臣政務官、金子恵美衆院議員、亀岡偉民衆院議員、赤羽一嘉衆院議員らも出席した。体育館の後方に掲示された金子、亀岡両議員の祝電には「復興の象徴」、「真の復興」の文字が並んでいた。 園児、児童、生徒の代表が「歓びの言葉」を述べた。飯舘中学校の川井萌映さん(3年)は「3月の内覧会では、新しい校舎に感動を覚えた。〝被災者〟のレッテルを自らの力で剥がし、今度は自分たちが困っている人たちに手を差し伸べられるように新しい日々を過ごして行きたい」と決意を語った。まさに〝復興の象徴〟としての船出だった。 【無視された保護者アンケート】 しかし、式典に出席した保護者の想いは、意外なほど「復興」とは違っていた。 「復興?復興なんて子どもたちには関係ないもんね。復興って何の事?って思ってるんじゃないかな。ちっとも復興してないしね」。中学生の母親は呆れたように話した。 「新しい校舎に通わせる一番の決め手ですか?私自身が飯舘中学校の卒業生ですから、自分と同じ学校に通わせたかったというのもあります。あとは、友人関係など3月まで使っていた川俣町の仮設校舎と同じ環境で通わせたかった。中学校3年間だけなので、わざわざ違う学校に進学させなかったんです。ゼロから友達をつくっていかなければならないですから。このタイミングであえて新しい環境に変えるという選択肢もあったのかもしれない。そういう家庭もあるようですから。でも、私はそうはしなかった」。現在は福島市内で暮らしているが、将来的には村に戻りたいという。生まれ育った村への想いは強い。その母親ですら、こんな言葉を口にした事の意味は重い。 「村内で学校が再開しなかったら、また違っていたでしょうね。ホットスポットやフレコンバッグがあるような場所には通わせたくは無いですよね。村外で授業を続けて欲しかったというのは前提としてあるんです。多くの保護者はそうだと思いますよ。村内で学校が再開しない方が良かったんです。でも子どもの(友人関係を変えたくないという)気持ちに負けてしまったというか…。やっぱり避難先から近い校舎に通わせられるのならそれに越したことはないし、被曝リスクへの不安が全く無いかと言えばそれは嘘になります。無い人はいないですよ。みんな胸の奥には不安はいっぱいあるんですよ。その上での決断だと思います」 新6年生の母親も「決め手?お友達ですね。同級生と離れたくないって子どもが言うもんですから。あと1年ですしね。ただ、もし中学校もここに通いたいって子どもに言われたら、無理矢理(避難先の)福島市内の学校に転校させる事も出来ないですから、今後の事は本人次第ですね」。自宅から校舎まではスクールバスで1時間かけて通う。「放射線量はね…気にはなりますよ。気にはなるけど、どうしようもないですもんね」と語る。 それでも村は早期村内授業再開にこだわった。2016年1月には、PTA役員らでつくる「飯舘村の子どもの将来を考える会」が村役場と村議会に要望書や署名を提出。2020年4月1日以降の再開を求めたが、菅野村長は無視。1年だけ先延ばししてお茶を濁した。同会の実施したアンケートでは、学校再開時期について、38・9%が「帰村宣言(避難指示解除)から5年以上経過後」、33・8%が「同3-4年経過後」と答えていたが、保護者の想いより「村残し」が優先された形だ。 […]   全文

Posted in *日本語 | Tagged , | 2 Comments