原発難民の母子「なぜ福島に帰れないか」、欧州で講演 via Alterna

福島原発被害訴訟原告の藤原理恵さん(仮名、47)が子ども2人を連れて3月24~25日、ドイツの2都市を訪れ、東日本大震災から7年間におよぶ苦難の生活について講演した。藤原さんは被ばくから子どもを守るため、福島県いわき市から東京に「自主避難」中で、同じく自主避難の2組の母子とともに、国連人権理事会出席のために渡欧した。フランスでも講演し、深刻な放射能汚染や健康被害などの「福島に帰れない理由」を訴えた。(ドイツ・アーヘン=川崎陽子)

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原発事故後も、自宅のあるいわき市には政府からの避難指示は出なかったため、東京の避難所では、同じく福島から避難した人からも「いわきは放射能(汚染は)ねえべ。金のために避難したのか」と言われた。

だが、藤原さんのように避難指示対象外の地域から避難した母子は多かった。そうした母子は、「吹き出すような鼻血がいつまでも止まらない子どもを見て、何かとんでもないことが起きているのではないかという母親の勘で、子どもを抱えて夢中で逃げてきた」(藤原さん)という。

今でも土壌汚染による被ばくの危険があり、藤原さんは自宅に帰れない。原発周辺の土壌のセシウム137は、事故前は15ベクレル/kg程度だったが、自宅のベランダに堆積した土の放射能を測ると1万ベクレル/kgを超える。

子どもは泥遊びもできないし、冬場の乾燥で舞い上がれば肺に入って内部被曝を起こす。政府は高さ1mの空間線量しか測らないが、放射線に感受性の高い小さな子どもたちほど、土に近い高さで生活をしているのだ。

いわき市には避難指示が出ていないが、認定NPO法人いわき放射能市民測定室たらちね(福島県いわき市)が測定した、いわき市内のある家庭の掃除機や換気扇フィルターのセシウムは、事故から5年以上経っても数千~数万ベクレル/kgあった。

藤原さんは「子どもたちの肺はフィルターのように交換することはできない以上、とても帰ることはできない」と語る。

福島県内で健康被害が増えている不安もある。教師だった夫は、学校で2人の生徒の突然死を経験した。藤原さんはその後も「県内での突然死の話はよく耳にする」と話す。

また、100万人に1人といわれていた子どもの甲状腺がんは190人を超え、その多くが避難の必要がないといわれた地域から発症している。国内初の死因究明センター「福島県立医科大学医学部附属死因究明センター」や、転移した甲状腺がんの治療ができる病棟が、福島県に建設されたのも不可解だ。

藤原さんのような、避難指示のない地域からの自主避難者は、2017年3月末までに避難住宅の提供を打ち切られた。政府は2020年までに避難者の数をゼロにすると表明している。

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「私は、放射能汚染が無い所からなぜか避難している頭の悪い人間。放射能が恐いというと過激派か?と言われる。でも、私は母親として遺伝子を傷つけるような被ばくをさせたくないだけ。戦争でも同じで、子どもたちを母親が守ることは絶対に正しいこと。それだけのことでバッシングを受けるのが日本の現状です」(藤原さん)

差別を受け続ける原発難民たちは共同で、4年前に国と東電の責任を訴え、3月16日の判決で認められた。だが賠償額は、7年間の避難費用には遠く及ばない。

同じ原告である藤原さんの中学生の子どもも、スピーチをした。四季折々の楽しい生活が奪われ、避難先で死にたいと思ったほどの学校でのイジメの話を聞きながら、日本人もドイツ人も涙した。中学生は、「国や東電が、自主避難者はほとんど賠償金をもらっていないことや放射能汚染の恐ろしさなど、正しい情報をみんなに伝えていれば、『ずるい人』といじめられることもなかった」と訴えた。

藤原さんのドイツ講演は、在独日本人が結成した「公益社団法人さよなら原発デュッセルドルフ」が企画した。

全文は原発難民の母子「なぜ福島に帰れないか」、欧州で講演 

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