なぜエリートほど大きな間違いを犯すのか?「国会事故調」元トップが明かす「ニッポンの病理」via 現代ビジネス

「優秀」なはずの人間たちが、大きな間違いを犯す。福島の原発事故で、私たちはそんな現実を見せつけられた。原発問題を知り尽くした専門家が、日本人が抱える病「規制の虜」を明らかにする。

原発事故は人災だった

国会事故調委員長として、私は福島第一原発事故に関わった多くの当事者たちから話を聞いてきましたが、彼らの責任回避の姿勢は目に余るものでした。あの原発事故は人災だった—そう思わざるをえません。

だからこそ、私たちは、あの事故から多くの教訓を学ばなければいけません。しかし、震災から5年が経ったいま、強い揺り戻しが起こっています。各地 の原発で再稼働へ向けた動きが進み、安倍晋三総理は原発推進の姿勢を隠さない。日本人は何を学んだのでしょうか。日本の未来への危機感を覚えています。

原発事故から5年。続々進む再稼働。日本人はフクシマから何を学んだのか?国会事故調元委員長が、エリートの人災を暴いた委員会の舞台裏と、その後に起きている揺り戻しの策動を綴る。

そう語るのは、東京大学名誉教授で、政策研究大学院大学客員教授の黒川清氏だ。黒川氏は、’11年の東日本大震災後、国会に設置された「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」(通称・国会事故調)の委員長を務めた。

先ごろ上梓した『規制の虜 グループシンクが日本を滅ぼす』(講談社刊)では、事故調委員長時代の経験を踏まえ、日本のリーダーたちに蔓延する、ことなかれ主義の姿勢を厳しく批判。さらに、この国の組織が陥りやすい「規制の虜」という問題を指摘している。

本のタイトルにもした「規制の虜」とはそもそも、規制する政府機関の側が、「規制される側」に取り込まれ、支配されてしまう状況を指す経済用語。’82年にノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学のジョージ・スティグラー教授が研究した現象です。

この「規制の虜」こそ、官庁や企業に限らず、日本のあらゆる組織が陥る重大な問題です。それが、はっきりと現れたのが福島第一原発事故でした。

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その一連の調査から浮かび上がったのは、電力事業者である東電に対し、監督すべき立場にあった経産省の外局機関「原子力安全・保安院」は、本来のチェック機能を果たさないばかりか、むしろ東電の利益のために機能するようになっていたという事実でした。

原子力に関する知識は、事業者側のほうが豊富ですから、どうしても原子力安全・保安院のような規制する側は後追いになる。また、規制当局のトップは短期間で部署を異動してしまうため、原発に関しては素人同然の人ばかりになってしまう。

そうして、本来規制される側のはずの電力会社が発言力を強め、規制する側はその理屈に合わせることしかしてこなかった。その結果、「日本の原発では シビア・アクシデント(過酷事故)は起こらない」という虚構がまかり通ることになった。「原子力ムラ」がのさばる、日本の異常な原発政策はこうして生まれ たのです。

5年前のあの事故で、国民はそのことを知ったはずでした。しかしながら、いままた「規制される側」が息を吹き返している。象徴的なのが、大津地裁が高浜原発の運転差し止めを命じた決定に対する関西電力や、関西経済界の反応です。

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差し止め決定にあたり、大津地裁の山本善彦裁判長は、「福島での事故を踏まえた原子力規制行政の変化や、原発の設計や運転のための規制がどう強化さ れたかを具体的に説明すべきだ」と指摘しました。それに対して、法律よりも、自分たちの企業活動のほうが価値が上とばかりに、平然と口を出す。規制の虜の 典型です。しかし、それがこの国では当然のことであり、いまも多くの組織が取り憑かれているのです。

また、福島第一原発事故以来、すべての原発が停止していましたが、’15年8月に川内原発が再稼働しましたね。川内原発をめぐっては、九州電力が、事故が起こった際の緊急対策拠点となる「免震重要棟」の建設計画を、再稼働後に撤回したことが問題になっています。

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責任逃れのエリート官僚

なにより、私が事故調の調査で痛感したのは、原発事故の当事者であるこの国のエリートたちの無責任さでした。

たとえば、電力会社各社の連合会である、電気事業連合会元会長で事故当時は東電会長だった勝俣恒久氏。彼は聴取の間、「安全に配慮してきたつもり」 といった具合に、「~だったつもり」という発言を6回もしました。また、「それは社長の仕事でした」などと、清水社長に責任を転嫁するような発言も10回 を数えるなど、こちらの追及に対して正面から答えようとはせず、ひたすら逃げるばかりでした。

一方、東電を監督・規制する立場だった政府機関の対応も酷いものでした。原子力安全委員会事務局長と原子力安全・保安院長を歴任し、原子力規制の専門家である広瀬研吉氏をヒアリングした際のことです。

原発事故当時、事故対応の拠点だった「オフサイトセンター」から、保安院の職員が退避してしまった事実について、事故調委員で弁護士の野村修也氏が尋ねたところ、広瀬氏は「よく承知をしていない」と、はぐらかすばかりだったのです。

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「規制の虜」はどの国でも起こりえますが、日本には、起こりやすい社会構造があるのです。たとえば、原発問題については、電力会社が地域独占であったことも大きかった。さらに役所、企業などの多くの組織が持つ、固定化された常識も、「規制の虜」を生んでいます。

日本は「単線路線のエリート」が多いのが問題なのです。大半の日本人は、大学を出て企業や役所に就職すると、ずっとその組織に所属し続け、年功序列で出世することが当然だと考えます。

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原発行政においても、原発推進という「国策」に反するような意見を、規制当局の職員が言えるはずもありません。その結果、正しいチェック機能が働かず、日本の原発は安全対策が不十分なまま「3・11」を迎えてしまった。原発事故は、まさに人災だったのです。

さらに言うと、日本では司法も役割を果たしていません。大津地裁では高浜原発の差し止め決定が出ましたが、これまでも下級審の差し止め判決が、上級 審で覆ってきました。「勇気ある判断」ができる人がいたとしても、裁判官も出世すればするほど、同じ考えの人しか残らない。原発推進という国策に従って、 結局「規制の虜」になっていくことが、よくわかります。

司法、立法、行政、これらすべてにおいて、この病は蔓延しているんです。それは原発だけでなく、「一票の格差」のような問題でも起こっています。司 法は「違憲判決」を避け、国会も、たとえば国会事故調のような独立した委員会で検討することをせず及び腰。誰が見てもおかしな問題が、いつまでも改善され ずに残っていくのです。そしてその結果に、誰も責任を取ろうともしない。

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