500人の証言が明かす過酷事故の真実 Nスペ「メルトダウン 危機の88時間」 – 田部康喜 (東日本国際大学客員教授)via BLOGOS

(抜粋)

NHKスペシャル「メルトダウン 危機の88時間」(3月13日)は、福島第1原子力発電所の事故について、その責任を追及することを急がず、現 場の事実を積み上げてみせた。亡き吉田昌郎所長が国会事故調査委員会の聞き取りに答えた、未公開の証言に加えて、関係者約500人の証言が裏付けになって いる。当時の現場の状況を再現するドラマが、事実をより理解しやすくさせている。

88時間目に起きたこととは

大震災と巨大津波から88時間目とは、第1号機と第3号機がメルトダウンを起こし、緊急冷却装置が稼働してかろうじてメルトダウンを免れていた第2号機が原子炉格納容器の爆発の危機に陥った瞬間だった。

格納容器が爆発すれば、大量の放射能汚染物質が周囲に拡散するばかりか、第1原子力発電所に立ち入りができなくなり、原発事故の収拾は困難になる。さらに、放射能汚染物質は隣の福島第2原子力発電所にも流れ込み、この発電所の地震と津波による被害対策もできなくなる。

さらには、東電関係者の証言として、「東日本に人が住めなくなる」と思った瞬間であった。「日本がダメになる。そのことを死ぬまで忘れない」と別の証言者は語る。

(略)

同日午後9時すぎ、第2号機がメルトダウンする。ベントもできず、格納容器の圧力は高まる。

吉田所長は「討ち死にになる。第2(原子力発電所)のほうも作業ができなくなる。あとは神に祈るだけだ」と考える。

東京電力の本店が考えていたのは、「ドライウェル・ベント」だった。放射能汚染物質を水に通さずにそのまま外に放出する、禁じ手ともいえる方法である。

本店 「ドライウェル・ベントをやれ! 責任はこっちでとる」

吉田所長 「やってますから。ディスターブ(邪魔)しないでください!」

現場からは「ドライウェル・ベントできません!」という声が。作業区域内に人が入れば、15分以内に死亡する放射線量に達していたのだった。

(略)

結果として、第2号機の原子炉格納容器は爆発を免れた。建物の揺れは第4号機の水素爆発によると推測されている。同機は運転休止中だったが、第3号機から漏れた水素が建屋内に充満したらしい。

第2号機の格納容器は上部の継ぎ目付近がひび割れたようになって、それによって内部の気体が外部に排出されて圧力が下がったと考えられている。ただし、その部分を直接確認するには至っていない。第2号機はその後1週間にわたって大量の放射能汚染物質を放出した。

吉田所長は「10人くらい昔から知っているやつ、こいつらだったら死んでくれるかなと思った。すさまじい状態だった。天の助けがないと、もっとひどいことになった」と証言している。

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