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<上下水道を整備>
住民が消えた町で、居住再開に向けた動きが加速している。
大熊町が復興拠点と位置付ける大川原地区で、東京電力は今春、作業員の食事を作る給食センターを稼働。さらに750戸分の社員寮を建設中で、来春以降の入居を目指すほか、関連会社2社が防災設備を備えた事業所の建設を進める。
町はこうした動きに対応するため本年度内に上下水道を整備。来春、役場機能の一部を同地区で再開することを検討する。災害公営住宅などを建て、2018年度を目標に住める環境にする計画だ。
町議は「放射線量が低い居住制限区域の大川原地区を整備するしか、町再生の方法はない。町を諦めるわけにはいかない」と語る。
熊町地区から避難し、会津若松市の仮設住宅で暮らす塚本英一さん(74)は、居住再開への動きを歓迎する。約300年の歴史がある家に育ち、原発作業員として40年間働いてきた。居住環境が整えば、町に帰ろうと心に決めている。
毎月、一時帰宅し、家の窓を開け、空気を入れ替える。「先祖代々引き継ぎ、自分が生まれ育った土地なので戻るのは当然。大川原に住めば、車なら10分で家の片付けに通える」と話す。
だが塚本さんは少数派だ。ことしの復興庁の調査では、帰町を希望する町民はわずか11.4%で昨年より1.9ポイント減った。9月に避難指示が解除された楢葉町では、1カ月で4%の住民しか帰還しないなど、避難区域だった周囲の町村の例を見ても状況は厳しく、帰町をどう進めるかが課題だ。
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<土地買収して」>
町民の中には、大川原の整備より帰町しない約9割の町民の生活支援を充実させるべきだという声がある。交渉が難航する中間貯蔵施設の地権者や、同施設の予定地近くに住んでいた町民への支援もその一つだ。
下野上地区から会津若松市の仮設住宅に避難する武内正則さん(65)の実家は国道6号の西側にある。放射線量が高い帰還困難区域だが、国道東の中間貯蔵施設の予定地から外れ、施設の賠償の対象にならない。
武内さんは仮設住宅が閉鎖される来夏にいわき市に建てた家に引っ越す。「高齢の母親に海の近くで過ごさせたい」と言う。
だが、帰れない家があることで割り切れない思いを持つ。「一時帰宅すると、思い出が走馬灯のようによみがえり、戻りたいと思うが、絶対にできない。自分の土地でなくなれば気持ちの整理が付く。土地を買収してほしい」。武内さんはそう訴える。
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