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被災地へ 届け ロシアの声 (17)スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ via 沼野恭子研究室

ベラルーシのロシア語作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ(1948年生れ)。
旧ソ連・ロシア社会の抱える問題を取りあげ、人々から得た貴重な証言である「生の声」をもとにルポルタージュを書いてきた、いわゆるノンフィクション作家である。
第二次世界大戦、アフガニスタン戦争、チェルノブイリ原子力発電所事故、自殺等々さまざまな社会問題に果敢に取り組んできた。チェルノブイリ原発事故に関しては以下の邦訳がある。
『チェルノブイリの祈り――未来の物語』 松本妙子訳(岩波書店、1998)

この度、三浦みどりさんを通じてアレクシエーヴィチに福島第一原発の事故について寄稿を依頼したところ、以下の文章を送ってくださった。この場をお借りしてお礼を申しあげたい。
チェルノブイリについて深く考えつづけてきたアレクシエーヴィチの声に、私たちは今こそ耳を傾けるべきではないだろうか。
ちなみに、今回の事故を契機に、『チェルノブイリの祈り』の改訂版がまもなく出版されるとのことだ。

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Чернобыль-Фукусима

Маленькая великая Япония… У меня, как и у миллионов людей в мире, день начинается с того, что я включаю компьютер: что там?
Благодаря новым средствам коммуникации мы наблюдаем за японской трагедией в режиме реального времени. Все происходит у нас на глазах. И как будто с нами. Атомный страх сделал мир маленьким. Старый политический словарь: «свои – чужие», «далеко – близко», – уже не работает. Все вспомнили, что чернобыльские радиоактивные тучи на четвертые сутки были над Африкой и Китаем. В европейских магазинах раскупают бытовые дозиметры и таблетки йодистого кальция, блокирующего распространение радиации в организме. Все не отходят от телевизоров. А новостные программы стали похожи на военные сводки.

[…]

チェルノブイリから福島へ

小さいけれど大きな国、日本。 世界中の多くのひとたちと同じく、わたしの一日もまずパソコンのスイッチを入れることで始まる。 日本は どうなっているかしら?
新しいコミュニケーション手段のおかげで わたしたちは日本でおきている惨事をリアルタイムで目撃することとなった。見ている前ですべてがおきて、まるで私たち自身がそこにいるような気になる。 原子力がらみの恐怖によって世界の人々は互いを身近に感じるようになっている。政治の世界で使われてきた「敵・味方」「遠くで起きていることか、近くのことか」などという分け方は意味をなさなくなった。 誰もが チェルノブイリ事故から四日目には放射能雲がアフリカや中国の空に漂ってきたことを思い出した。 ヨーロッパ各国では家庭用の線量計や放射能の体内拡散を防ぐヨード剤を買いあさった。誰もがテレビにくぎづけ。 ニュース番組を戦時の戦況報告のように待った。
これは日本だけの悲劇なのか?それとも、人類全体の?
これだけの惨事がおきても文明の力を信ずる気持ちはゆるがないのだろうか? わたしたちの価値観は?
恐怖だけがわたしたちに教訓をもたらす力を持っている。

原子力による教訓の最初はチェルノブイリ事故だった。 聖書にさえ、チェルノブイリについての警告は記されている。
ところが チェルノブイリ事故は「全体主義」の結果とされ、ソ連の原子炉に欠陥があるからであり、技術的に遅れていて、ロシアのやり方がいい加減で、資材などをしかるべく使わないで横流しする性癖のせいとされた。こうして原子力の神話は無傷で残った。 ショックは たちまち消えてしまった。 放射能でたちどころに死ぬわけではない。 5年後に癌になっても誰もそれを気にとめない。 チェルノブイリ事故のあと150万の人々が命を落としたという独自の調査結果をロシアの環境研究者たちが出しているがそれについてはまったく黙殺されている。

そして、今 再び原子力について学ぶ時がきた。
一つの原子炉ではなく、日本の事故は4基の原子炉で起きている。 福島という名はチェルノブイリと同じく世界中が知っている。広島、長崎と並んで 知られるようになった。 原子力は軍事用も平和利用もおなじこと。 同じく人間を殺してしまう。 世界3位の経済力を持つ国が平和利用の原子力を前になすすべを知らない。荒れ狂った自然力で、数時間、いや数秒のうちにいくつもの村や町が津波で掠われてしまった。進歩という名のあとに残ったのは進歩の残骸ばかり。進歩という蜃気楼の墓場だ。原子炉の安全装置は最高レベルといわれながら、大地震(ロシアの尺度で9バール、その約1,5分の一が日本の震度に相当する)の前には取るに足らない子供服のように役立たなかった。
つまり、社会体制が異なっても事故は起きる。共産主義か資本主義かではない。問題は人間と人間が手にしている技術との関係にあるのだ。逆説的かもしれないが、技術のレベルが高いほどそれに関わる事故はすさまじいものとなる。

[…]

 

チェルノブイリ事故の放射能で死にゆく人々、日本の今回の惨事で奇跡的に生き延びたひとたちや亡くなってしまったひとたちの身内に、そのひとたちの消費願望はどういうもので進歩とは何か 問うてみるといい。新しい携帯電話や自動車と 命のどちらを選ぶか?と。
広島、長崎のあと、チェルノブイリ事故のあと、人間の文明は別の発展の道、非核の道を選択すべきだったのではないだろうか?
原子力時代を脱却すべきだ。 わたしがチェルノブイリで眼にしたような姿に世界がなってしまわないために、他の道を捜すべきだ。
誰もいなくなった土地、立ち並ぶ空き家、畑は野生の森に戻り、人が住むべき家々には野生の動物たちが住んでいた。電気の通っていない電線が何百と放置され、何百キロもの道は何処にも行き着かない。
テレビをつけると日本からのレポート。 福島ではまた新たな問題が起きている。
わたしは過去についての本を書いていたのに、それは未来のことだったとは!

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ(作家)

 

全文は 被災地へ 届け ロシアの声 (17)スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ

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