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『東京の原爆美術展中止 目黒区美術館「事故と重なる」』 via 中國新聞

 ▽「今こそ意義」疑問も

 東京都の目黒区美術館を運営する区芸術文化振興財団は23日、4月開幕の特別展「原爆を視(み)る1945―1970」の中止を決めた。福島第1原発の事故で首都圏でも平時を上回る放射性物質が検出されるため、「放射線被害を含む原爆と事故のイメージが重なる今は、鑑賞してもらう内容ではない」と判断したという。

 特別展は、制作者がどう原爆に向き合い、見る側はどう作品を受け止めてきたかの検証を通じ、原爆が戦後の日本に与えた影響を見つめ直そうと企画。1945年から26年間に発表された原爆に関する絵画や写真、漫画など約600点を準備した。同館などが主催し、広島、長崎両県市や日本被団協も後援して4月9日~5月29日に開く予定だった。

続きは『東京の原爆美術展中止 目黒区美術館「事故と重なる」』から。

Posted in *日本語.

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4 Responses

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  1. 佐藤三郎 says

    今日3月24日、東京電力福島第一原子力発電所で復旧作業に当たっていた作業員3人が被曝(ひばく)し、うち2人が病院に運ばれた(この3人は東電社員ではなく、協力会社の若い社員だという)。
    関連情報●隠された被曝労働〜日本の原発労働者〜●
          ▼

    東電によると、水に浮いた汚染物質が足の皮膚に付着し、その部分に被曝で起こる「ベータ線熱傷」が起きた可能性も否定できないとしている。この事故の結果、被曝線量が100ミリシーベルトを超えた作業員は累計17人になった。

    原発20~30キロ圏内の屋内退避区域に住むある家族は、避難のため家を出るとき、車に乗るまでの間、1歳、4歳、6歳の3人の孫をポリ袋で完全に包んだ。「絶対に孫は被曝(ひばく)させたくなかった」――(「朝日新聞」3月21日付)。

    日本と世界の人々が、正しい情報を求めている「今」、この「原爆を視(み)る1945―1970」展は市民のニーズにこたえるものだったと思う。

    改めてこの展覧会が開催される際には、なぜ目黒区芸術文化振興財団が今回中止にしたのかの自己検証をコーナーを設けて展示今回されるべきだ。さらに「被ばく」という身体的痛みから原爆と原子力を「視る」必要があり、「1945-2011」という時間軸をはっきりと持つべきだ。

  2. Justin Jesty says

    This is a sad turn of events. The director of the Meguro Museum is quoted in the Sankei Shinbun as saying amidst “overblown fears and misunderstandings about radiation are spreading, it’s not appropriate to hold this exhibition.”
    http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110324/dst11032411230024-n1.htm

  3. Yuki Miyamoto says

    My colleague informed me that a theater has cancelled showing Kamanaka-san’s latest film…

    http://888earth.net/index.html

    If not now, when?

  4. 神村和美 says

    また人々がパニックに陥るから、と上から圧力がかかったのでしょうか。。
    企画は充実した内容だった、残念だ、という関係者の落胆したコメントに少しばかり救いは
    あるように思われましたが、やはり開催中止という選択はしてほしくなかったです。

    日本は世界で唯一の原子爆弾による被爆国で、放射能の恐ろしさは広島・長崎以外の人々にも刷り込まれていると思いますが、にもかかわらず、日本は戦後、原発を作り続けることで被ばく者を出し続けています。国策で自分の国の国民を被ばくさせているのは、おかしなことです。

    今回、福島原発で被ばくした作業員たちは、くるぶしまでぐらいの長さしかない靴をはいて、原発の地下でケーブルを引き、地下に溜まった水が靴の中に入って被ばくしたと聞きました。まだ若い方たちです。
    そんな靴で原発の地下にいくなんて、常識的にも考えられないことだと思いました。フランスからも防護服が一万着届いたと聞いたのですが、地下に行くかれらにはどうして与えられなかったのでしょうか。しかも1時間半ほど作業をさせられてたとききますが、長すぎると思います。
    また、今回の原発事故には、自衛隊では未来のある若い人はなるべく行かせない、と小耳にはさみました。ほかの組織もそうなのかと思っていました。しかし実際は、短い靴を履いた若い人を危ないエリアに入れるような東電の協力会社も仕事を引き受けていたのですね。
    かれらが被ばくしていなかったら、協力会社が原発入りしていることは私たちは見過ごしてしまったかもしれません。メディアは、立派な防護服を着た自衛隊や消防隊を取り上げますが。。。

    何シーベルト、とか何ベクレル、とか、専門家が毎日テレビでいろいろ情報を流し、一般の方々が放射能の知識を得ては過剰に反応している一方で、現場に実際行かされている方に対しなぜ防げることを防いであげられないのか、下請け会社のまったく保護されていないといっても労働者の扱われ方を思うと、怒りを覚えます。1995年に樋口さんが告発した「日本の原発労働者」の頃と、そしてもっと昔から、日本は本質的に変わっていないのではないかと思いました。

    このようなときにこそ、原爆展は開かれるべきだったと思います。平和呆けした日本では、原爆の世界は遠いものだったかもしれませんが、今なら、ひとりひとりが今起こっている問題として”核”をとらえるだろうと思われるからです。



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