Tag Archives: 健康被害

Testimonies of Japanese fishermen affected by nuclear testing in the Pacific via Manhattan Project for a Nuclear-Free World

From March to May 1954, the U.S. conducted six hydrogen bomb tests in the Marshall Islands. In total, 67 atmospheric nuclear tests were conducted there. It is estimated that more than 10,000 Japanese fishermen and 990 fishing boats were affected … Continue reading

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飯舘村被ばく労働訴訟 和解成立 via ごみから社会が見えてくる

環境省による飯舘村蕨平の仮設焼却炉において発生した被ばく労働について、被告 日揮株式会社を相手に損害賠償を請求した事件は、2021年11月26日和解成立となりました。12月10日(金)福島県庁で記者会見を行いました。正確な数は把握できませんでしたが10社前後が取材し、同日夜NHK福島放送「はまなかあいづ」にて放送されました。 調停条項(口外禁止条項を除く) 1 被告は、原告に対し、解決金を支払う。2 被告は、放射性物質・ダイオキシン等労働者の健康を害する可能性がある物質を取り扱う作業を労働者に行わせる場合には、今後とも、より一層法令等を遵守し、当該物質を適正に管理し、すべての人を尊重し、安全を優先することを約束する。3 原告は、その余の請求を放棄する。 争点は2つありました。一、安全配慮義務違反二、入所前教育(新規入場教育)で説明した通りの労働環境や作業内容ではなかった点 一、は実際に健康を害されたのかという点が問われた。健康不安を感じるような労働環境であったことから慰謝料を請求したものであるが、被告は「環境省の基準を満たしている」という主張に終始したほか、内部被ばく問題の難しさがあり、黒い雨裁判でも長年かかってようやく認められたところである。よって一、については和解に反映されなかった。二、について和解に至ったということになる。 裁判の前の労働審判においてはダイオキシン暴露を問題にしたが、裁判では放射能で進めた。結果は必ずしも納得できるものではないが、被告からは「(労働環境は)「環境省の基準以下」であり保護具のレベルは低くて良い、数値は明らかなのだから不安に思うはずはない」とする主張が繰り返された。これまでの労働実態を鑑みて、今後のために何らかの約束をすべきと考え和解に至った。以上 損害賠償請求額は381万円余ですが、解決金額は被告の要請で非公表となりました。その他の条項も原告の主張はほとんど反映されず、被告の要求に従う結果となりました。私は当初、金額を含め上記和解条項を知らされたとき、まさかと耳を疑いました。裁判でのやりとりでも被告の主張は非常識というほかなく、原告の主張が圧倒的に有利であると思われたからです。しかし弁護士や50年も労働訴訟を闘ってきた労働組合の方々によれば、原告の男性に実際の健康被害が出ていない段階での訴訟はかなり厳しいと見ていたにも関わらず、一応の解決金を勝ち取ることができたことは少なからぬ成果であるとの結論であり、労働裁判の厳しい現実を思い知らされました。それにしてもあれほどの被ばく労働を強いられた事実に対してあまりに不当な結果であるとの思いは拭えません。また今後、仮に健康被害が出た場合にも一切の請求ができないというのも納得できるものではありません。 通常であれば裁判官からの尋問はさらっと終わってしまうところ、本件においては複数の裁判官からかなり時間を割いて詳しく聞き取りが行われた、との弁護士の談話が印象に残りました。未曾有の原発事故がもたらした放射能汚染による被ばく労働を地元の福島地裁で審理したことで、裁判官の強い関心を集めたのかもしれません。 原告の男性は長い裁判から解放され「スッキリした気持ち」であると率直な感想を述べ、また「福島で裁判を闘っている人がたくさんいるため、和解した日を新たなスタートとして、福島の人達のためにできることを頑張っていきたい」と抱負を語りました。 支援の会のTさんは、福島県内には飯舘村以外にも仮設焼却炉が数多く設置されていること、また木質バイオマス発電も建設され汚染された木材を燃料としており、これらから放射能の濃縮した焼却灰が大量に排出され労働者が被ばくすること、今後の様々な職場での労働を考えるうえで今回の結果は大きな力になると考えているとコメントされました。 原文

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村に吹いた核の風、弟は16歳で死んだ カザフ実験場跡 via 朝日新聞

ロシアと中国に挟まれた中央アジア・カザフスタン。首都ヌルスルタンに住むバルシャグル・トッカーリナさん(66)は7月13日、久しぶりに実家のある東部の旧セミパラチンスク(現セメイ)に帰った。  弟の命日だった。家族写真を見つめ、祈りを捧げた。「レスリング選手のように体格が良く、サッカー好きの活発な子だった。なぜ核実験の犠牲にならなければいけなかったのか。怒りしかありません」  かつて住んだ村の郊外には旧ソ連時代、核実験場があった。6歳だった1961年秋のある夕方、きょうだいらと庭で遊んでいると、雷のような地響きとともに、土混じりの爆風に襲われた。空は真っ赤に染まっていた。家に駆け込んだが、1歳下の弟ムフリスさんが見当たらない。庭で気絶して倒れていた。  弟の右腕はまひし、二度と動くことはなかった。その後も失神を繰り返し、16歳だった73年、浴室で倒れたまま帰らぬ人となった。村では白血病を抱える子どもたちも多かった。 核実験場の広さは約1万8500平方キロ。四国ほどの面積だ。旧ソ連は49~89年の40年間に、同国による核実験の約6割を占める約470回の核実験を地上や地下で繰り返した。150キロ圏内に放射性降下物が降り注ぎ、約130万人が影響を受けたとされる。このことはソ連崩壊まで伏せられていた。住民たちは「演習」と聞かされ、家の窓ガラスを新聞で覆うよう言われただけ。放射線による健康被害が知られるようになったのは、独立直前の80年代後半になってからだった。  一家は学校長だった父の都合で、核実験場近くの村を転々として暮らした。両親は10人の子をもうけたが、母は3度の流産を経験。54年に生まれた兄は生後間もなく死去した。父は食道がんで、妹も7年ほど前に脳腫瘍(しゅよう)で亡くなった。  99年、現地の新聞にある記事が載った。広島市の市民団体「ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト」が留学生を募っているという。 […] もっと読む

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原発汚染水海洋放出について 経済産業省の説明を聞く会 via 「汚染水の海洋放出に反対する」実行委員会

※ライブ配信時、冒頭の音声が欠けてしまいましたので、完全版としてアップロードしました※ 2021 年 7 月 10 日(土) 13:30~16:30 会場:三春交流館まほら 大ホール 説明者: 経済産業省資源エネルギー庁 原子力発電所事故収束対策室 奥田修司室長 東電福島第一原発事故により発生した汚染水の処分について、今年4月 13日に政府は海洋放出により 処分を行うと決定しました。海洋放出に関しては多くの疑問点や問題点がありますが、菅総理は決定後、 「今後国民にしっかり説明して、御理解いただけるようにしていきたい」と述べています。 国には私たちの納得のいくまで説明して頂きたいと思います。 会に参加できない方もYouTubeからぜひ視聴ください。 ***プログラム*** 13:30~13:40 あいさつ 実行委員長・三春町長・三春町議長 13:40〜14:00 説明 奥田修司室長 14:00〜16:30 会場からの質疑応答 (途中休憩あり) 主催:「汚染水の海洋放出に反対する」実行委員会 後援:三春町

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原発被ばく原因の「がん」認めず 収束作業の男性、札幌地裁 via Kyodo (goo)

東京電力福島第1原発事故の収束作業中の被ばくが原因でがんになったなどとして、札幌市の元作業員の男性(63)が東京電力HDや作業の元請けだった大成建設など計3社に計約6400万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、札幌地裁は13日、請求を棄却した。  高木勝己裁判長は判決理由で、男性が作業開始からがんの診断を受けるまでの期間は長くとも約1年10カ月で、がんの最小潜伏期間の5年を大幅に下回っていると指摘。作業と発がんに因果関係を認めることはできないと判断した。  判決によると、男性は2011年7〜10月、福島第1原発の敷地内で重機を使ってがれきの撤去作業に従事した。 原文

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【東日本大震災から10年】県議目指し活動中。「黙っていたのは逃げ……自分で行動しようと決めました」/磯貝潤子さん via LEE

2016年4月号のインタビューから5年。東日本大震災関連の報道が減る中で、彼女たちが日々、どんな葛藤や奮闘を続けてきたのか。 新型コロナの流行で現地取材がままならない中、今回はオンラインでじっくりとお話を伺いました。ぜひ彼女たちの思いを共有してください。 5年目インタビューより 郡山市で被災。放射能対策をしながら暮らしていましたが、1年後、県外への自主避難を決断し、娘2人を連れて新潟県の借り上げ住宅に引っ越します。夫は郡山市に残り、二重生活に。甲状腺の検査では娘にも自分にもたくさんのコロイド嚢胞が見つかりました。子どもたちの健康を守るため、放射能や、水や食べ物の安全性について必死に学ぶうちに、沖縄や安保などの社会問題にも目を向けるようになっていきます。 「ママ、本当に戦争になっちゃうの?」……「この法律が成立したら、なるかもしれないね」と答えると娘さんは泣いたと言います。2015年、安保関連法案が国会に提出され、多くの反対の声が上がっていました。 「どうしたら泣く娘を慰められるんだろう。私たちは原発から離れた場所なら安全に暮らせると思って新潟に避難したけれど、もしも戦争になったら、今度はどこに避難すればいいんだろう。大丈夫だよと言える根拠がひとつも見当たらなくて、だったら止めなくちゃならないと思いました」 SNSを通じて「安保関連法に反対するママの会」が全国に広がっていき、磯貝さんもその活動に加わります。たくさんのママが集まった渋谷のデモにも参加しました。けれども2015年9月、安保関連法成立。12月には「安保法制の廃止と立件民主主義の回復を求める市民連合(通称:市民連合)」が発足し、磯貝さんは市民連合@新潟の共同代表を務めることになりました。 「私は原発事故の前は選挙に行ったこともありませんでした。でも震災後、娘たちの安全を守りたい一心で学び始め、いろいろな社会問題にも目が向くようになり、黙っていられなくなってきて。全ての子どもたち、新しい世代の人たちが安心できる世界にしたいという思いが、どんどん強まっていきました。 新潟で流れる柏崎刈羽原発のCMを見て、その反対運動にも関わるようになっていました。安保関連法のときは、私と同じように、それまで政治に目を向けていなかった人たちもたくさん声を上げた。すごく心強くて、こうして立ち上がっていくことで何かが変わる、変われる気がしていました。 […] 進学で上京する娘がくれた手紙 […] 「ママ、18年間ありがとう。毎日かかさずお弁当を作ってくれて、放射能から守るために避難してくれて、やっと今になって本当に感謝しています。空気を気にしないで沢山走って、遊んで、ママのおかげで成長できました。選挙でママが勝つと思うよ。今まで頑張ってきた努力やママの想いが伝わりますように」 […] 起きてしまった事故は磯貝さんの罪ではないのに、なぜそこまで自分で背負うのでしょう。 「すごく期待していたんだと思います。助けようと思えば助けられる人たちがいたであろうに、政府とか、財界とか、どこでもいいですよ、例えばなぜ急いで子どもたちだけでも避難させなかったのか。 私は期待していたんです。いつ始まるんだろう、いつ起こるんだろうと思っていたけど、待てど暮らせどそんなことはなくて、結局、みんなが我慢したり、自分たちの力で何とかするということになって、今に至っているわけですよね。 私も黙っていたけど、それは逃げだった。そのしわ寄せは子どもたちがくらってしまう。だから自分で行動しようと決めたんです。 洗い物をしてひび割れた手で議会に行って、夕飯の献立も考えながら政治のことも考えられる、そういう人がいないと、いつまでたっても私たちにとって政治は遠いものです。頭が悪くてもいい、間違えてもいいから、ワカメの味噌汁を作りながら政治を変えていかないと、と」 […] 全文

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なぜ黒い雨による「被ばく」は置き去りにされたのか 届かなかった医師の訴え via 毎日新聞

広島と長崎に設置されていた米原爆傷害調査委員会(ABCC)の医師が1950年代半ば、米政府の公式見解に異を唱え、原爆投下直後に降った「黒い雨」が住民たちの病気の原因になった可能性があると指摘していた。しかし、被爆75年を迎える今も、黒い雨の健康への影響を巡って論争が続く。なぜ、医師の訴えは届かず、黒い雨による「被ばく」は置き去りにされたのか。【小山美砂】 目に見えない問題に時間割けず  「広島の残留放射線及び放射線による兆候と症状」と題した9ページの報告書。添付された広島市の地図には、48個の小さな丸印が書かれている。原爆の爆心地からの距離は2~6・5キロ。いずれも爆発時に放出された直接放射線の影響がほとんどないとされた場所だ。だが、そこにいた人たちも脱毛や紫斑などの急性症状に見舞われた。「現在入手できる客観的証拠では、原爆投下後の残留放射線は無視できるとされている。なのに放射線を浴びた時の兆候や症状が表れている」。報告書は矛盾を指摘する。  報告書を作ったのはABCCの生物統計部長、ローウェル・ウッドベリー医師(故人)。原爆放射線による人体への影響を調査する研究の中枢にいた。  広島では原爆投下直後、原子雲や火災に伴ってできた積乱雲から、核分裂で飛び散った放射性物質を含む黒い雨が降った。爆風で巻き上げられたほこりやちりも放射性物質とともに広範囲に落ちた。多くの人が浴び、空気や水、食物と一緒に体内に取り込んで被ばくしたと考えられる。  だが、米政府は一貫して直接放射線以外の放射線の影響を否定した。被爆1カ月後の45年9月12日、広島・長崎を視察した原爆製造計画「マンハッタン計画」の副責任者だった米軍准将が「広島の廃虚に残留する放射線はない」と発表し、翌日の米紙ニューヨーク・タイムズが報じた。 「。。。」 放射性降下物が病気を招いたと考えるウッドベリー氏が、米本国のスタッフォード・ウォーレン医師(故人)らに異論を伝えたのはこの頃だ。だが、壁は厚かった。ウォーレン氏はマンハッタン計画の安全対策責任者。放射能を洗い流したといわれる45年9月中旬の枕崎台風の前後に広島と長崎に入り「患者の障害は危険な量の放射能が地上に残った結果ではない」と報告して政府見解を支えた。核開発にその後も関わった放射線研究の権威にウッドベリー氏ははね返され、政府を動かすことはできなかった。  ABCC内部で黒い雨はどう見られていたのか。「組織として『調査をしよう』という動きはなかった」。当時、ABCCの印刷課にいた宮川寅二さん(93)=広島市南区=は証言する。ABCCは広島と長崎の被爆者ら約12万人を対象に55年ごろに始めた寿命調査で「黒い雨に遭ったか」との質問を設けた。質問票の書式を任された宮川さんは「余白ができたから盛り込んだだけだった」と言う。  宮川さんの質問票が使われた61年までの調査に対し、約1万3000人が黒い雨に遭ったと回答した。しかし、75年にABCCが日米共同運営の放射線影響研究所(放影研)に改組された後も、長崎の医師らが回答の存在を2011年に指摘するまで「黒い雨に遭った場所や時間の情報が不十分だった」との理由で解析しなかった。 […] 疑われるなら国は救済を  国による被爆者援護は、原爆投下から12年後の1957年に原爆医療法(現被爆者援護法)が施行されて始まった。対象地域の拡大や手当の創設などが進められ、黒い雨を巡っては76年、広島の爆心地から北西側に広がる長さ約19キロ、幅約11キロの楕円(だえん)状の地域が援護対象区域に指定された。この区域にいた人は無料で健康診断を受けられ、国が「放射線の影響を否定できない」と定める11障害を伴う病気になれば、医療費が免除になる被爆者健康手帳を受け取れる。 しかし、国は80年に厚相(当時)の諮問機関が出した「被爆地域の指定は科学的・合理的根拠のある場合に限定して行うべきだ」との意見書を盾に、区域の見直しをしなかった。黒い雨に遭った人の高齢化も進み、広島市や県は2008年、3万人超を対象にアンケートを実施。援護区域の6倍の広さで黒い雨が降ったとして国に区域拡大を求めたが「60年前の記憶によっていて、正確性が明らかにできない」と退けられた。  黒い雨の健康被害を認めない国がよりどころにするのが、45年8~11月の現地調査などのデータから放影研が作り、被ばく推定線量の計算に使われる評価システムだ。放影研は87年に出したシステムに関する報告書で「残留放射線の影響は無視できる程度に少ない」との見解を示している。  「直接放射線による外部被ばくだけでは、被爆者にもたらされた健康被害の説明がつかない」。19年10月、広島地裁。援護区域外で黒い雨に遭った住民ら84人が被爆者健康手帳の交付を求めた「黒い雨訴訟」で、住民側の証人として出廷した広島大の大瀧慈(めぐ)名誉教授(69)は訴えた。  75年から広島大原爆放射線医科学研究所に勤め、統計学の観点から原爆の影響を見続けてきた。広島市などのアンケートにも携わった研究者に気付きをもたらしたのは、11年3月の東京電力福島第1原発事故だった。  低線量被ばくや内部被ばくが議論される中、広島大が約1万8000人の被爆者を対象に10年までの40年間に実施した健康調査のデータを改めて分析し、黒い雨が降った爆心地の西側では被爆した場所が遠いほど、がんで死亡する割合が高いとの結果が出た。原爆の放射線による健康被害のリスクは爆心地に近いほど高いという「定説」と矛盾する。「放射性物質を空気や水、野菜とともに体内に取り込んだことによる内部被ばくの影響が否定できない」と結論づけた。  放射性物質が体内に入ると、排出されない限り局所的な被ばくが続く。だが、放射線量の測定方法は確立されておらず、がんの発生など健康への影響も解明されていない。被爆者援護法は「他の戦争被害とは異なる特殊の被害」を受けた人々を救済するために制定された。その趣旨を踏まえ、大瀧名誉教授は主張する。「黒い雨の影響で健康被害が生じたと断定できなくても、疑われるなら国は救済すべきだ」。29日に言い渡される判決が、国が内部被ばくと向き合う契機となることを期待している。 全文

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福島の小児検診 見直しをvia 日本経済新聞

中側恵一 命や生活に関わらないようながんを早期に発見する「過剰診断」が国レベルで進んでしまったのが韓国の甲状腺がんです。 1999年から始まった国主導のがん検診で、乳がん検診のオプションとして、甲状腺がん検診も受けられることになりました。すると、甲状腺がんの発見が急増し、約20年で患者数が15倍にまで増え、2012年には女性のがんの約3分の1が甲状腺がんとなりました。一方、甲状腺がんによる死亡率は全く下がりませんでした。 韓国でも、14年ごろから、科学者が甲状腺がんの過剰診断に対して警鐘を鳴らし、マスコミも大きく取りあげました。「アンチ過剰診断」と言えるキャンペーンが進んだ結果、甲状腺がん検診の受診者数はピーク時から半減し、発見数も激減しています。ジェットコースターのようなアップダウンです。 ほとんどの小児甲状腺がんは「死に至る病」ではありません。韓国や神経芽細胞腫の例を踏まえ、福島の小児甲状腺がん検診を見直す時期に来ていると思います。 全文

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声明:福島第一原発事故から9年~「オリンピック」で覆い隠してはならない被害の実態 via FoE Japan

「見えない化」される被害2011年3月11日に発生した東日本大震災とそれに続く東電福島第一原発事故から9年が経過しました。しかし、まだ事故は継続しています。広範囲におよぶ放射能汚染が生じ、自然のめぐみとともにあった人々の暮らしは大きな打撃を受けました。原発事故は多くのものを奪いました。生業、生きがい、コミュニティ、友人や隣人と過ごすかけがえのない時間、平穏な日常…。いわば、人が人として生きてきた基盤が失われてしまったのです。「原発はすべてものを奪った。俺らだって今も山には入れない。家にはやっぱり子ども達がいてよ、子ども達と一緒に山に行ってよ、そんで山の物を採ったりよ、いろいろ教えたりそれが当たり前だったから。そんな事、いまは何にもできないから」。飯舘村の元酪農家で、今はそばの栽培に取り組む長谷川健一さんはこう語ります。一方で、「復興」「オリンピック」のかけ声のもとに、放射能汚染や被害の実態が「見えない化」され、健康被害や不安を口にできない空気が醸成されています。「福島は今、オリンピックが最大限に利用され、未だに続く事故の被害や避難者が抱える問題を、うまく可視化できなくしようとしています」と三春町に住む武藤類子さんは指摘します。 避難指示解除と聖火リレー避難指示はどんどん解除されています。3月4日には帰還困難区域の常磐線双葉駅(双葉町)の周辺、5日には大野駅(大熊町)の周辺、10日には、夜ノ森駅(富岡町)の周辺の避難指示が解除されました。3月15日には常磐線が開通し、3月末には聖火リレーが今回解除された地域を通過します。福島県の調査によれば、聖火リレーのコース上や沿道で、毎時0.46マイクロシーベルト(郡山市)、0.77マイクロシーベルト(飯舘村)など、除染基準である毎時0.23マイクロシーベルトをはるかに上回る放射線量が観測されています。また、「ちくりん舎」および「ふくいち周辺環境放射線モニタリングプロジェクト」が、聖火リレー・コースおよびその周辺69か所で行った調査によると、全調査地点中62%で、毎時0.23マイクロシーベルトを上回り、7か所で100万Bq/m2を超える高い土壌汚染を示す地点がありました。これらの地域はすでに避難指示が解除され、人が居住している場所でもあります。あまりに被ばく防護が軽視されているのではないでしょうか。 「これが本当の“復興”?」相次いで避難指示が解除されても、帰還はなかなか進みません。旧避難指示区域の居住率は3割以下にとどまります(復興関連事業の企業関係者、廃炉・除染関係の作業員などを含む)。若い世代が帰還せず、高齢者の1~2人世帯が点在する地域が多い状況です。「近所では次々に家が取り壊されている。もともとのコミュニティの形は跡形もない。これが本当に“復興”なのか」と富岡町に帰還した91歳の男性は語ります。それにもかかわらず、避難者向けの住宅提供などの支援は相次いで打ち切られています。2020年3月には、双葉町と大熊町を除く帰還困難区域からの避難者に対する住宅の無償提供が終了します。対象となる2,274世帯のうち、211世帯については4月以降の住宅確保の見通しはたっていません。福島県が事故当時18歳以下だった人たちに対して定期的におこなう甲状腺検査では、甲状腺がんまたは疑いと診断された人の数は237人、うち手術してがんと確定したのは186人にのぼっています(2020年2月13日までの公表資料による)。しかし、多くのもれがあることがわかっており、甲状腺がんの数や症例は、必ずしもあきらかではありません。福島県が設置した委員会は、一巡目二巡目の検査の結果について「罹患統計などから推定される有病数に比べて数十倍のオーダーで多い」とした上で「事故の影響は考えづらい」などとしています。甲状腺がんが多く見出されている理由として、一部の専門家たちは「過剰診断論」を唱えていますが、手術を行った医師は、多くの患者にリンパ節転移や周辺組織への広がりがみられたとし、いずれも手術が必要な症例であったと述べています。 汚染土の再利用と汚染水の海洋放出除染で発生した汚染土もまた、「見えない化」されようとしています。環境省は1,400万m3とされている汚染土を公共事業や農地造成に「再利用」する方針を打ち出しました。環境省はこの4月から再利用のための施行規則を運用しようといています。しかし、情報公開や住民への説明が十分行われるのか定かではありません。各地で住民たちが反対しています。福島県二本松市の農道でおこなわれるはずだった実証事業は、住民の猛反対で中止されました。環境省は、南相馬市小高区の常磐自動車道の4車線化の盛り土に汚染土を使う実証事業を計画していますが、地元行政区の区長たちが全員反対している状況です。福島第一原発のサイトでは、多核種除去装置(ALPS)で処理した汚染水が増え続けています。タンクはすでに960基で、貯蔵されている処理水は116万m3以上となりました。 これに関しては、大型タンクによる陸上保管やモルタル固化による保管、敷地の拡張などが提案されていたのにもかかわらず、汚染水の取り扱いについて検討を行っていた政府の委員会は、そうした提案を十分検討しないまま、海洋などへの放出が現実的な選択肢だとする報告書をまとめました。 被害者を中心に据えた復興へ現在、除染やインフラ、ニーズが定かではないスポーツ施設や道路などに多額の予算がふりわけられています。一方で、避難者への住宅提供などの支援は打ち切られ、除染以外の被ばく対策はほとんど行われておらず、保養も民間団体が細々と行っているにすぎません。「復興」の名のもとに、避難者「数」を減らし、被ばく影響を否定することによって、原発事故被害者はむしろ追いつめられています。私たちは、日本政府に対して、現在の被害を直視し、原発事故被害者全員への完全な賠償と、被害者の生活再建と尊厳を取り戻す真の復興のための政策を実施することを求めます。私たちはまた、世界中の人たちと手をとりあって、原発事故の惨禍を二度と繰り返さないために、被害者とともに立ち、原発も核もない平和な世界に向けて、歩みを進めたいと思います。以 上国際環境NGO FoE Japan〒173-0037 東京都板橋区小茂根1-21-9TEL: 03-6909-5983  / FAX: 03-6909-5986 原文とビデオ

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甲状腺検査で1人がん診断 丸森町が3回目の結果公表via 河北新報

 宮城県丸森町は22日までに、東京電力福島第1原発事故当時18歳以下だった町民らを対象とした3回目の甲状腺検査の結果を公表した。1人が甲状腺がんと診断された。町の検査では4人目。  2018年6月から今年3月まで、対象者の55%に当たる1270人が受診した。要精密検査が6人、経過観察は106人だった。がんの発症が放射線の影響かどうかは判断していない。  検査は町民の不安解消を目的に、町が独自に実施。12年3月に1回目を開始した。事故当時18歳以下の町民のほか、事故直後の転入者や出生者も対象に含め、3年ごとに行っていた。4回目以降は今後検討するという。 原文

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