湯川秀樹日記 ビキニ事件に衝撃「人類は一層危険な段階に入った」via 毎日新聞

日本人初のノーベル賞を受賞した物理学者の湯川秀樹(1907~81年)が、米国による太平洋・ビキニ環礁付近での水爆実験について記した1954年の日記を、京都大が11日に公開した。日記にはマグロ漁船「第五福竜丸」の被ばく、原子力を巡る新聞寄稿や全国講演の様子を記載。湯川はビキニ事件に衝撃を受け、その後、平和運動に生涯情熱を傾けた。専門家は「湯川の転機に当たり、重要な資料」としている。
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湯川は翌55年、科学者らが核戦争の危機を訴えた「ラッセル・アインシュタイン宣言」に共同署名し、57年には核廃絶を目指す「パグウォッシュ会議」に参加。湯川と交流があり、日記を判読した小沼通二(みちじ)・慶応大名誉教授(87)=素粒子理論=は「湯川はビキニ事件を機に会議出席や講演を積極的に行い、核廃絶を最優先にした“行動の人”になった。『寄稿文を書いたことが原点』とも語っていた」と話す。

 日記の内容は同史料室のホームページで見られる。
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国家を越えた連帯の必要性問う
 公開された日記にある通り、1954年3月30日付の毎日新聞朝刊1面に「原子力と人類の転機」と題する湯川秀樹の寄稿(約2300字)が掲載された。この中で湯川は「原子力と人類の関係は新しい、そしてより一層危険な段階に入った」と、ビキニ水爆実験の衝撃の大きさを率直に吐露し、「原子力の脅威から人類が自己を守るという目的は他のどの目的より上位におかれるべきではなかろうか」と、国家を超えた連帯の必要性を問うている。
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