[…]
当時から今も続く「選択」の日々。「この道路は歩いて大丈夫だろうか。この木の下に立っていても良いのだろうか。ここは落ち葉が積もっているから避けて通る方が良いんじゃないか。きれいな花の周りは除染しているのだろうか。このホウレンソウはわが子に食べさせて大丈夫なのだろうか。学校の屋外プールでの授業を受けさせても良いのだろうか。毎日毎日、頭から離れません。私の判断の誤りで、取り返しのつかない事になったらどうしよう。いつも不安におびえています」。
少しでも安全な所へ、と沖縄に保養に出掛けた事もあった。公的制度も確立されず県外避難は叶わない。今も福島市で子育てする事で本当にわが子に健康影響が出ないのか葛藤は続いている。そんな日々は当然、疲れる。「原発事故の無い、遠い遠い所へ逃げ出して、何も心配せずに暮らしてみたいと、いつも感じています」。
被告・東電の代理人弁護士は、あたかも女性原告に正しい知識が不足していて、抱いている不安や心配は科学的根拠に基づかないものだと質す。水道水や福島産の食材をわが子に与えない事も、甲状腺検査での「A2判定」が将来、悪性化しないかと心配する事も、全て否定してみせる。しかし、「専門家による科学的な情報に接する事で不安が緩和されるという事はありませんか」と問われた原告の女性は明確に答えた。「ありません」。
[…]
双葉郡浪江町津島に生まれ育ち、その後長く福島市で生活している70代女性は、原発事故によって故郷を奪われ、穏やかな日常も汚された。故郷にも福島市にも降り注いだ放射性物質。
[…]
あれほど元気で活発だった愛犬が原発事故後に心臓疾患や白内障を患って死んだ。自身も、原発事故前は病気らしい病気などしたことも無かったのに白内障の手術を受け、甲状腺にはのう胞が見つかった。夫は肺腺ガンと診断された。それらと原発事故との因果関係を立証する事など出来ない。しかし、全く関係無いとも言い切れるのか。夫とともに畑を〝除染〟した際、大量の放射性微粒子を吸い込まなかったとなぜ言い切れるのか、疑問は残る。「(愛犬の)解剖をお願いして、どのくらい放射性物質を取り込んでいたか調べてもらえば良かったと悔やんでいます」。
確かに、汚染や被曝リスクを理由に福島市内での家庭菜園は禁じられていない。しかし、原発事故直後、空間線量が1・5μSv/hもあった事、有機肥料で育ててきた土が除染で根こそぎ取り除かれてしまう事などを考え、あきらめることにした。それも、被告・東電の代理人弁護士に言わせれば「大げさ」な判断。それどころか「平常通りに暮らしている人もいるというのはご存じでしょうか」とまで言う。それに対し、原告の女性はこう反論した。
「平常通りに暮らしているように見えても、心までは見えませんから。皆さんがどういうお気持ちで暮らしているかは分かりません」
[…]
畑の除染を巡っては、家族間で意見が対立。言い争う事もあったという。「原発事故が無ければ、家族みんなで『日本一の美味しい果物作り』に頑張っていました。土がいまだに2000Bq/kg以上あるので私は除染して欲しかったけれど、夫や子どもは反対してまとまりませんでした。畑の一角に仮置き場を設けなければならないし、有機肥料で育てた土を失い、除染作業で木の根を傷つけられても補償されないからです。今では畑の汚染や除染を口にする事も出来なくなりました」。さらに「保養」の必要性にも言及した。「福島で生きていかなければならない、福島で仕事をしなければならない不安とストレスを、放射能の無いきれいな土地で思い切り空気を吸って解消するためにも、保養は必要なのです。健康に影響無いと言われても、そこに放射能があるというだけでストレスなのです」。
[…]