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「原発事故で売れなくなったからといって、殺すことはできない」被ばく牛を飼い続ける農家の“意地” via Harbor Business Online

東京電力福島第一原発事故で、国は原発から半径20km圏内に飼育されている家畜の殺処分を命じた。このうち約3500頭いた牛は1400頭ほどが餓死、他の牛も薬殺または牛舎から逃げて野生化するなどした。

しかし畜産農家の中には、国の殺処分に納得せず、今もエサ代を自己負担しながら牛の飼育を続ける者もいる。現在公開中のドキュメンタリー映画『被ばく牛と生きる』は、そうした農家の姿を描いた作品だ。監督の松原保さんに聞いた。

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殺処分をまぬがれた「被ばく牛」の数は2012年時点で700頭以上。後になって国は自己責任で飼育することを認めたが、牧草など1頭当たり年間約20万円のエサ代は農家が負担し続けている。

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だが、国としては被ばく牛を市場に流通させる訳にもいかない。殺処分はやむを得ないが「合理的な選択」だったのではないか?

「そうした国の『大義』が、全面的に間違っているとは思いません。農家が何の保証もないままなぜ被ばく牛を飼育しているのかということは、その気持ちは理解できても理屈で説明するのは難しい。全ての農家が『国の責任を問う』という信念があるわけではありませんが、“意地”とも言える強い思いを持ち続けていることは確かです」(松原さん)

国は被ばく牛の責任を農家に押しつけた

被ばく牛の中には、原因不明の白い斑点が出るものも現れた。

大学の合同チームが、被ばく牛を対象に「低線量被ばくによる大型動物への影響」をテーマとする調査研究を始めたが、国は研究の必要を認めず、予算確保のメドも立っていないという。

「国は被ばく牛がいた痕跡を消し去りたいのでは。調査研究も難しい中、農家の『死んでいくなら、せめて人の役に立ってほしい』という被ばく牛への思いが実る保証はありません」(松原さん)

そして大きな経済的負担や長引く避難生活などの理由で、被ばく牛の飼育を諦めて殺処分に応じる者も出始めた。農家が承諾書にサインして殺処分は行われる。つまり、自分の牛の殺処分の最終的な責任を農家が負うしくみになっている。

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「『被ばく牛を流通させない』と言う以上、国が最終責任を負うべきだった。旧ソ連のチェルノブイリ原発事故では、国が軍を出動させて牛を避難区域の外に連れ出すところまでやったのです。非常事態であるからこそ、国が責任を取る姿勢を示せば農家も立ち直れたかもしれません。被ばく牛を飼い続ける農家は、最終責任を個人に押しつける国に憤っていたと撮影を通して感じます」

行きすぎた経済優先主義を考え直す時期にきている

一体なぜこんなことになったのか。「行き過ぎた経済優先主義が、結果としてあの事故に至ったのでは」と松原さんは見ている。

「そもそも、原発誘致も地域経済を潤す目的で行われました。経済成長だけを追い求めるような社会のあり方を今一度、立ち止まって考える時期に来ているのではないでしょうか。でも世の中からは原発事故から1年かそこらで、そうした意識は消えてしまった。

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【『被ばく牛と生きる』上映情報】現在、東京・ポレポレ東中野フォーラム福島で上映中。大阪・第七藝術劇場では12月16日から。詳しくは公式サイト(http://www.power-i.ne.jp/hibakuushi/)にて。

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