Daily Archives: 2014/08/16

福島・飯舘中 家庭訪問を再開…見合わせる学校もvia 読売新聞

 東京電力福島第一原発事故で全村避難が続く福島県飯舘村の村立飯舘中学校は今夏、避難後に休止していた家庭訪問を再開した。避難生活の影響で保護者と接する機会が減る一方、被曝ひばくの不安による子どもたちの運動不足やスマートフォンを巡るトラブルなど、家庭との連携が必要な問題は多い。  ただ、手狭な仮設住宅を訪れることへの遠慮から、他の自治体では家庭訪問再開を見合わせる学校もある。  「おはようございます」。7月31日朝、福島市の仮設住宅で、2年生の女子生徒が住む一室を訪れた飯舘中の玉野寛子教諭(35)は戸口から声をかけた。「先生、暑いですから」という母親の招きで室内に入り、約20分間、夏休みの過ごし方などを話し合った。「バス通学や都市部での暮らしなど、生徒たちは村にいた頃とはまったく違う環境にいる。家庭に伺うことで、それを実感できる」という。  福島市内にある同校の仮設校舎には、同市など3市町から105人の生徒が通う。避難前は家庭訪問のほか、通学路の交通安全指導や学校周辺の草刈りなどで保護者と日常的に触れ合っていたが、生徒宅が遠くなった避難後は激減。目黒満校長は「PTAの会合も開けない状態」と明かす。  一方、避難生活の長期化や外遊びを控える家庭が増えたことで、子どもたちは運動不足になっている。5~17歳の肥満傾向児の割合を調べた文部科学省の全国調査で、福島県は多くの年代で全国最高値を記録した。  また、緊急時に連絡できるようにスマホを持たせる保護者が増加。同校では、無料通話アプリの利用を巡って生徒同士がもめるトラブルも起きている。家庭訪問再開には「学校での指導だけでは限界がある」(村教委)との判断もあった。  読売新聞が、役場ごと避難している他の6町村の小中学校に取材したところ、家庭訪問を再開したのは17校中12校で、5校は見合わせたままだ。  会津若松市に仮設校舎がある大熊町立大野小では「狭い仮設住宅や借り上げ住宅を訪ねれば、家庭に迷惑をかけることになりかねない」と、学校での個別面談で代用。児童の自宅周辺を訪れ、遊び場や通学路の危険箇所を調べている。富岡町立富岡第二小は、給食の試食会などを行い、保護者との交流を増やしている。 もっと読む。

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Return to Fukushima with Miles O’Brien via PBS

Three years after the disaster at Fukushima, science correspondent Miles O’Brien returned to the Daiichi nuclear plant for an exclusive look at the site. Follow Miles on a never-before-seen tour of Daiichi’s sister site, Fukushima Daini, which narrowly avoided a … Continue reading

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国策に翻弄され:戦争と原発/4止 戦没者の遺品収集−−田村市遺族会長・鈴木正一さん /福島 via 毎日新聞

◇戦争の風化に怖さ 「資料見てもらい平和語りたい」−−鈴木正一さん(74) (略) 田村市歴史民俗資料館の一角に、平和祈念資料展示室が開設されたのはちょうど10年前の2004年8月でした。昭和から平成に時代が移り、かやぶ き農家が次々と新しい家に建て替えられ、戦没者の遺品が散逸していました。遺族会(当時は船引町連合遺族会)で保存する手立てはないかと考えました。お金 は遺族会で何とかできるとして、果たして遺品が集まるかどうか、それが一番心配でした。 展示室開設の5年ぐらい前、集まったのはわずか20、30点でした。これを種にして増やさないといけないと思い、船引町の文化祭に遺品を展示して 協力を呼びかけました。そしたら、出征写真や予科練制服、千人針など数百点が寄せられ、展示できるだけの資料を収集することができました。 戦没者の慰霊祭で皆、二度と戦争を起こさないと言います。でもなぜか無機質な枕ことばのように聞こえてなりません。口先で平和を語るよりも、資料 を見てもらって平和を語りたいという強い思いがありました。遺族会が資料展示室の運営に関わるのは珍しいケースですが、生きることの大切さ、平和の尊さを 遺品を通して訴えたかったのです。 (略) 原発事故への政府の対応にも疑問を感じます。原発も戦争と同じ国策です。それが事故の反省も踏まえず、政府は再稼働に突き進みます。あの戦争ですら風化 するのですから、原発事故もそうなる懸念は大いにあります。戦争も、原発事故も、若い世代にその教訓をどう語り継ぐかが今、問われているのだと思います。 【聞き手・浅田芳明】=おわり 全文は国策に翻弄され:戦争と原発/4止 戦没者の遺品収集−−田村市遺族会長・鈴木正一さん /福島

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Giant watercolor captures devastation of Fukushima nuclear disaster via The Asahi Shimbun

SENDAI–A giant image of a destroyed reactor building in a nuclear wasteland is drawing crowds at the Sendai Mediatheque cultural hall in Aoba Ward here. Titled “Kyodaiga de Egakareru Fukushima” (Fukushima drawn in a huge picture), the watercolor of the … Continue reading

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August Special: Downwinders via NHK World

Each August, Japan commemorates the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki. NHK WORLD TV, which hopes for a world free of nuclear weapons, brings you the following special programs. DOWNWINDERS Aug. 16, Sat. 0:10/ 6:10/ 12:10/ 18:10 (UTC) After World … Continue reading

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(原発利権を追う)「事実だけを申し上げました」via 朝日新聞

■関電の裏面史、内藤千百里・元副社長の独白:13 《1987年、関西電力本社の取締役会で代表取締役名誉会長の芦原義重と副社長の内藤千百里は経営を私物化しているとして取締役を解任された。会長の小林庄一郎の緊急動議だった。芦原は相談役名誉会長、内藤は関電産業(現関電不動産)社長になった》 (略) 腹が立ち、本を書こうと思った。それを聞きつけた東京電力会長の平岩(外四)さんに東京へ呼ばれた。うなぎ屋の個室で二人っきり。「西からそんな問題を起こされたら困る。内藤さん、本を書かないで下さい」と手をついて頼まれた。芦原さんに迷惑をかけられない。「わかりました」と返事をした。 《内藤は沈黙を守った。だが、元首相への献金や政官界との宴会は続けた》 芦原さんは解任後も自分のパイプを小林に譲らなかった。最後まで権力を放したくないという人ではない。ただ負けずに生きていたいなという生命力。本能だったんでしょうね。 私も芦原さんの秘書役は続けた。連絡があれば元首相とセットしてカネを持って一緒に東京へ行った。芦原さんの刺激になると考え、小沢のいっちゃん(小沢一郎)との会合もつくりました。東京行きは芦原さんの体力が衰えて自然にフェードアウトですな。 全文とビデオは(原発利権を追う)「事実だけを申し上げました」 当サイト既出関連記事: (原発利権を追う)三木さんは「足りない」と言った via 朝日新聞 (原発利権を追う)知事選は建設会社、便利な裏金だった via 朝日新聞 (原発利権を追う 東電総務部:上)パーティー券、極秘裏仕事 via 朝日新聞

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