アングル:妻の自殺は誰の責任か、原発訴訟が示す福島の静かな危機 via ロイター

[川俣町(福島県) 10日 ロイター] – 東日本大震災発生から3年以上が経過したが、今も増え続ける「震災関連死」。震災から約4カ月後に自殺した女性の夫が東京電力(9501.T: 株価, ニュース, レポート)を訴えている裁判は、来月下旬に福島地方裁判所で判決が下される。

男性は、自殺は福島第一原発事故で避難生活を強いられたことが原因だと訴えている。原発事故の関連死として東電の過失が認められれば、同社に対する他の損害賠償訴訟にも影響を与える画期的な判決になり得る。

2011年7月、渡辺はま子さんは避難先から自宅に一時帰宅した際に焼身自殺をした。遺書は残されていない。だが、 夫の幹夫さん(64)は、自殺は福島第一原発を運営する東電に直接責任があると主張。「自殺に至った経緯で、東電側に(責任が)一切ないという、そんな話 はないと思う。あの事故さえなければここで平凡な暮らしができたのだから」と語る。幹夫さんは約9100万円の損害賠償を東電に求めている。

福島県では当初、同原発事故で15万人以上が家を追われ、その3分の1が仮設住宅での生活をいまなお余儀なくされている。幹夫さんもその1人だ。

(略)

<ふるさとへの思い>

幹夫さんの自宅がある地区は、いまだに昼間しか立ち入ることができない。現在は仮設住宅で1人暮らしを送りながら、定期的に自宅に戻り、家族でバーベキューをしたりホタルを見たりした思い出の庭を手入れしている。

事故後、渡辺さん一家は避難所などを転々とし、ようやく福島市小倉寺の小さなアパートに落ち着いた。だが、はま子さんは自宅に帰れず、子供たちとも離れ離れになり、アパート暮らしにはなじめなかったという。

幹夫さんは当時をこう振り返る。「2人で食材を買いにスーパーに行くと、みんなが自分を見ていると言い始めた。避難者で田舎者だから見ていると言っていた。みんなじろじろ見るから、外に出て歩きたくないと言った」

そのころ、幹夫さんとはま子さんが働いていた養鶏場が閉鎖し、2人は仕事も失った。

はま子さんは住宅ローンの支払いを心配し、「これから仕事もなくなっちゃって、どうして生きていくの、どうやって生きていくの」と常に言っていたという。

2011年6月30日、幹夫さんははま子さんにせがまれて家に戻った。1泊の約束だった。はま子さんは料理をしたり幸せそうに見えたという。

はま子さんは言った。「あんた、明日本当に帰るの」

「帰るよ。朝早く起きて、草刈りを終えたら10時くらいに出るよ」

「私は絶対アパートなんて帰らない。1人だってここに残るから」

こんな会話を交わした後、2人は夜9時ごろに就寝した。幹夫さんが夜中の1時ごろにトイレから寝室に戻ると、はま子さんに手をつかまれた。「何か言ったと思うが、覚えていない。泣きじゃくっていた。もうどんな言葉だったんだか。手を握り合って寝た」

翌朝、幹夫さんは草刈りをしていたとき、遠くにある大きな木の下で炎が上がっているのを見た。はま子さんがいつものようにごみを燃やしているのだろうと思い、幹夫さんは草刈りを続けた。

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