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吉田調書などによると、3号機は14日未明、注入する水が枯渇して危機を迎えた。東電はウエットベントで格納容器の圧力を下げようとしたが下がらず、14日午前6時23分、次善の策としてドライベントの検討を始めた。午前7時前の時点で甲状腺がんを起こす放射性ヨウ素が南南東の風に乗って北北西方向に広がり、3時間で福島県北部の相馬郡付近が250ミリシーベルトになると予測。この値は甲状腺被曝の影響を防ぐため安定ヨウ素剤を飲む当時の国の目安100ミリシーベルトを超えていた。
国から午前7時49分に情報統制に入ったと通告された後も、東電は再度、ドライベントを実施した場合の放射性物質の拡散を予測していた。
吉田氏は政府事故調の聴取でドライベントを検討していたか質問され「それはもちろん、しています」と明言。一方で、それに先だってウエットベント の操作をしている間に「爆発してしまって何か圧が下がってしまったんですね」と述べた。これは午前11時1分に3号機建屋の爆発が偶発的に起きた後に圧力 が下がり、人為的なドライベントを実施する必要がなくなった経緯を説明したものだ。爆発後、構内の放射線量はほとんど上がらなかった。偶発的な爆発と違い、人為的なドライベントには危険性を住民に周知する責任が発生する。
当時、国は3号機の圧力上昇を報道発表しないよう東電と福島県に要請していた。この情報統制について吉田氏は聴取で「そんな話は初耳」とし、「広報がどうしようが、プレス(報道発表)をするかしないか、勝手にやってくれと。現場は手いっぱいなんだから」と証言。原子炉の制御に追われ、住民への周知にまで気を使う余裕がなかったことを打ち明けていた。
(略)
■住民の安全、誰が守る
《解説》吉田調書の教訓は、ひとたび過酷事故が起きれば電力会社にとって住民の安全は二の次になるという現実だ。福島第一原発を預かる東京電力社員たちは事故直後、原子炉の制御に精いっぱいで、避難住民に配慮する余裕がなかった。
大量被曝(ひばく)を招きかねないベントを実施する場合、住民にどう周知するのか。事故対応と住民避難は切り離せないのに、そのルールは事故から3年以上たった今もあいまいだ。
根本的な問題を解決しないまま、国は原発再稼働への道筋を描く。事故対応は電力会社に委ね、住民の避難計画は自治体に任せているのが実情だ。
全文はドライベント、福島第一3号機で準備 震災3日後、大量被曝の恐れ 吉田調書で判明
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