冷戦下の1954年、西側諸国の囲い込みと第三世界の取り込みのために「原子力平和利用博覧会」を世界各地で計画していた米政府が、日本での最初の開催地 として当初、被爆地の広島を検討していたことがわかった。米国の水爆実験で第五福竜丸が被曝(ひばく)した「ビキニ事件」で日本の反核運動が拡大すること を警戒する米政府に、被爆地を利用して原子力の利点をPRしようという動きがあったことを示している。
◇ 英文記事:(より詳しい情報です)
・U.S. used Hiroshima to bolster support for nuclear power via asahi.com