参加者と子どもと教科書ネットのご了解を得て掲載いたします。
昨夜、9条の会事務局長の小森陽一先生と母たちとの懇談会を開き、と
ても大切なことが見つかりましたので、報告させて下さい。まず、現状として、低線量被曝症状が多くの子どもたちに出はじめてい
ます。
被曝医師、肥田舜太郎先生(94歳)宅には「東北、関東、一番西は今
のところ、山梨、静岡のお母さんたちから症状の訴えが届いている。」
(7/16肥田先生講演会での話)町田在住の私の息子も鮮血の鼻血が25分以上続くことが何度かありま
す。周りの子どもたちも低線量被曝の症状(下痢 、口内炎、喉
の異常、鼻血、発疹、倦怠感など)がたくさん出ています。
ただ、今の日本において、低線量被曝症状を低線量被曝症状と診断出来
る医師はなかなか少ないようです。
そんな中、子どもの体調の異常をいち早く察知できる母達がこのことを
どう受け止めて行動してゆけば良いか、子どもと未来をつなぐ会の母た
ちと、小森陽一先生で懇談会を開きました。母たち
「低線量被曝症状を低線量被曝症状と受け止めて、子どもを通してこの
社会を見つめてゆくことは、これからとても大切なことになると思いま
す。」小森陽一先生
「低線量被曝とは、被爆者(被曝者)たちが自らの命をかけて、人類に
残してくれた人 間として生き延びていくための知的財産」母たち
「広島、長崎、第五福竜丸の被爆者たちが命と引き換えに被曝とはなに
か?を教えてくれた。私 たちには、そういう先人たちがいる、
歴史を学び、その歴史の上に立ってこれからどう生きるかを探ること
が、どれだけ大切な事か、今、改めて実感しています。」母たち
「子どもたちの体をつくってゆくために、必要な土壌、水、空気、植物
の放射線量を母たちが気にかけることは、異常な行為ではなく、子ども
を産み育てる母親として、当たり前の行為だと思います。」小森陽一先生
「地球をひとつの生命体に例えて、するとどうなるでしょうか、太陽は
今核爆発をしながら、太陽系に様々なエネルギーを与えています。太陽
を構成する物質と同じ物質で地球も成り立っていたわけです。けれど
46億年前に太陽とは別れて地球は独自の惑星として太陽の周りを恒転し
ながら自転をし始める、そういう状況に入りました。その時は地球自身
も太陽と同じ核爆発をし続ける放射性物質の塊でした。けれども
46億年から40億年をかけて地球は太陽からのとても微妙な距離
で、それは地球自身の重さで万有引力の法則で太陽が地球を引っ張る距
離と地球が太陽から飛び出そうとする距離との関係で今の微妙な位置が
決まっているわけです。そのことによって地球は他の惑星にはない、
H2O 水という物質を凍らせもせず、蒸発もさせずに、液体としてキー
プできる惑星になったわけです。この水が海として生命の発祥の母体に
なるわけですが、それまでには地球は太陽と同じ放射性物質の塊だった
わけですから、この放射性物質がある以上、生命は生まれなかったので
す。
地球は太陽の周りをこの微妙は距離で自転しながら、恒転して地球の重
さによって放射性物質を出す元素を無くしていったのです。だから何
故、原発で生産されるプルトニウムが人間が人工的に作らないと無いか
というと、もともとはあったのだけど、46億年の地球の歴史の中の
40億年かけてプルトニウムを地球上から無くしてきた。そして放射性物
質が圧倒的に少なくなった段階で、地球と太陽と微妙な距離で成立した
H2O 水が満ちている海から生命が出てきたんです。だから地
球が生み出した生命体と放射性物質は根本的に相反する存在です。つま
り放射性物質を無くしたから地球という惑星だけに生命が生まれたんで
す。だから私達がその生命の歴史を受け継いでいる人間として、放射性
物質を人間が創りだすということは、生命に対する裏切り行為、だから
私たちは福島第一原発の事故があった現在、もう一度人間の全生命存在
に対する責任として、この人工的に放射性物質を創りだしてしまうよう
なこの体制と決別する事が必要なのです。
この地球の46億年の歴史と生命の関係を一番はっきりと示しているの
が、生命はいかに放射性物質に弱いのか、放射性物質があったら生命は
生きていけないということを一番示す典型的な例が低線量被曝です。人
間の中で一番弱い子どもたちが、その低線量被曝に晒された時どうなる
のか、実は子ども達の身体が見えない形で低線量被曝によって、被害を
受けて訴えてる辛さというのは、地球の46億年の叫びそのものなのだ
として私たちは受け止めなければいけないのではないでしょうか」母たち
「母たちが繋がりあい、社会を変えてゆかなければ」小森陽一先生
「今、変えなければ、この財、政、官、学、癒着構造を変えるチャンス
はもう当分来ないと思っていい。今がチャンスです。」母たち
「『放射能から子どもたちを守りたい。』の一点で多くの方々と繋がっ
てゆきたいと思います。」