避難所の原町第一小学校に戻った熊田さん=南相馬市原町区東2丁目 福島第一原発の事故で避難していた新潟県長岡市から自宅のある福島県南相馬市まで歩いていた元原発技師の熊田俊一さん(64)が、約300キロ 18日間の旅を終えた。かつて働いた原発の惨事に、いてもたってもいらずに歩んだ旅路の先に、「自分なりの復興」のかたちが見えてきた。
先月16日~今月3日を旅した熊田さん。56歳まで約25年、配管の検査技師として全国の原発で働いたが、安全と信じた原発の惨事で長岡 市の体育館に2カ月半逃げた。避難所生活や新聞、テレビの報道に、被災者の悲惨さを見た。「何もない自分だが、せめて労苦を分かち合いたい」。それが リュックサックを背負ったきっかけだった。
毎日、夜明けから日没まで歩く。阿賀野川沿いの絶景を眺めながら福島県へ入り、猪苗代湖から郡山市、飯舘村を通って南相馬市へ。喜多方 ラーメンの味に帰郷を実感したり、車に乗せてくれた人の好意に感激したりの旅路だった。だが、胸にはいつも「原発で働いた自分に何ができるのか」の問いが あった。