晴れた冬の海を望む高台に立った。約100メートル前方には4棟の原子炉建屋が横一列に並ぶ。
「ここも1年前からマスクやヘルメットがなくて済むようになりました」。福島第1原発を案内する東京電力社員の言葉に、作業を重ねる月日への感慨がこもる。
汚染されたがれきの撤去や地面を覆う処理が進み、構内の放射線量は大幅に低下した。今では特別な装備をせずに歩ける場所が全体の96%に及ぶ。
地下水を原子炉に近づけない地中の凍土壁も昨年9月に造成が完了。20キロ南で事故対応の拠点となったJヴィレッジもサッカー施設として営業を再開した。東京五輪の聖火リレーの出発点になる。
強い風を受けていると、鳥の鳴き声のようなけたたましい音にドキリとした。胸の線量計が被ばくの累積を知らせる。低線量とはいえ、あまり長居はできない。
後ろを振り向くと、隙間なく並ぶ巨大なタンク群が見えた。その数、およそ千基。汚染後に浄化処理をした水をため続けている。
それでも放射性物質は残る。原子力規制委は希釈して海洋放出するよう求めるが、地元の反発は強い。2022年夏ごろには敷地内に保管場所がなくなる。
[…]
<反省と教訓」とは>
あの時、ここも危うかった。
原子炉を冷やす水の循環ポンプが水をかぶって動かなくなり、温度や圧力が高まる緊急事態に陥った。4日後に冷温停止したが、一部の電源が生き残る幸運がなければ、第1原発と同じ過酷事故が起きていたかもしれない。
二つの原発の間に、事故の経緯や現状を伝える東電の施設がある。展示資料や社員は「反省と教訓」を繰り返し説く。
東電は事故の根本原因を▽過酷事故対策の不備▽津波対策の不備▽事故対応の準備不足―とし、背後原因を▽安全意識の不足▽技術力の不足▽対話力の不足―と総括している。
施設内のビデオは、こうした「反省と教訓」の上に「比類なき安全を創造し続ける原子力事業者になる」と強調していた。
言い換えれば、技術や意識を高めて原発を再び動かしていく―との宣言だ。
今も4万人超が帰還できない中、東電は新潟県で柏崎刈羽原発の再稼働を目指している。
<根本から擦れ違う>
事故から何を学び、反省し、教訓とするか。その根本から擦れ違っていると感じた。
原発は高度な技術と大量の人員を動員してようやく成立する。ひとたび暴走すれば取り返しがつかない被害を生む現実こそ教訓だ。
反省すべきも想定の甘さではない。何もかも想定し、制御できるという過信だろう。震災も「想定外」を一つ減らしたに過ぎない。犯罪、テロ、事故、火災、水害、竜巻、地震、噴火―。すべてから「安全」だといえるか。
日本の発電量は減少した。再生エネルギーによる発電が増え、原子力は数%にとどまる。このまま原発依存を脱すべきなのに、安倍晋三政権は30年の電源構成に占める原子力の目標比率を震災前に近い「20〜22%」としている。
再び過信が首をもたげている。九州では原発再稼働で電気が余ると、九州電力が再生エネ事業者に発電の一時停止を指示。経済界は新増設の推進まで叫んでいる。
原発へ通じる国道6号から、人けのない店舗や民家が見える。草木が茂る野原はかつての田畑だ。電光掲示板が当たり前のように放射線量をドライバーに伝えている。時間が止まったような荒涼を目にするたび、恐怖の記憶が薄れていた自分に気付く。
再び原発が暴走すれば、すべてが「人災」だ。反省せず、教訓も生かさぬ政治を容認している私たちが「根本原因」なのだから。
(12月15日)