東京電力福島第1原発事故の際、放射線量測定の拠点だった福島県の旧原子力センター(大熊町)の内部が、事故から7年8カ月たって初めて公開された。白板には「モニタリング中止、撤収せよ」と現場職員に無線で出した指示や原発の危機的状況を示した書き込みなど苦闘の跡が残っていた。
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白板や黒板には14日の3号機の水素爆発について「爆発音→屋上にて白煙確認」「水素爆発 屋内退避」といった文言が並び、当時の緊迫感を伝えている。
別の部屋には、事故後に各地で採取した雨水を入れたタンクが所狭しと置かれていた。今後の試料として保存しているという。人の形を描いたメモもあり、線量測定から戻った職員の表面汚染を示す数値が体の部位ごとに記されていた。玄関先には職員の靴が置かれ、「この黄色靴、汚染しています」との貼り紙も。
当時センターにいた県職員、阿部幸雄さん(53)は屋上から3号機の白煙を目撃した。「自分だけでも残って検査を続けたかったが、被ばくの可能性もあった。もっとできることがあったのではないかと今も思っている」と語った。
センターと隣接の旧原子力災害対策センター(オフサイトセンター)は大熊町の特定復興再生拠点区域(復興拠点)にあり、県はいずれも20年度までに解体する。